*
「ここにふ化場があったのか。」
崇史はつぶやいた。次太夫堀公園には、かつてサケのふ化場があった。毎年二十数万粒の発眼卵を岩手や福島の漁協から取り寄せ、ボランティアの若者たちが育て多摩川に放流させていた。「カムバック・サーモン運動」と呼ばれた市民運動で、水質汚濁を防ぐ浄化の呼び掛けとサケの遡上で自然回復の喜びを共に味わうを目的としていた。一九八二年に始まり、一九九九年まで行われた。その後、ふ化場事業から撤退し、学校での飼育、観察、放流等を行う環境教育となり、その後、立ち消えになった。
崇史は、勤務校でこのプログラムを復活させようと考えていた。前任校で同僚が実践しているのを見ていた。サケの稚魚を飼育する子供たちが楽しそうにしているのが印象的だった。また、水槽の中を覗くと数百匹のサケの稚魚が乱舞する様に圧倒され、見惚れてしまった。その同僚とは仲が悪くなってしまったので、入手の方法を聞き出すことができなかったがインターネットで関連記事を調べ上げ、入手先を見つけ出していた。さらに、直接、電話をし、教育目的で提供をお願いしたところ、承諾を得ることができた。崇史は念願成就で高揚し、かつての東京のサケの拠点だった場所に来ていた。
あとはどうやって放流させるか、崇史は活動のゴールの設定を考えていた。サケは稚魚の時期に川を下り、海で成長する。北の海に生息しているため、低い水温を好む。春に海水温が上がると放流しても海に出られなくなるため、三月には放流を終えたい。この特殊な生態に合わせるため、飼育期間は短い。だが、稚魚が生きたまま活動を完結できることが魅力であった。ある程度の見通しはあった。まず、勤務校で複数の学級で飼育できるようにする、並行して崇史の息子が通う学校や家庭にも卵を配る。今回の活動は多くの子供たちに経験させたい。ただし、放流は様々な課題が発生するため、注意を払っていた。学級集団を引率する場合の安全管理の未然の準備が多岐に亘るため、勤務校では実施せず、息子の学校で父親たちが行っている「上町倶楽部」の活動で実施を考えていた。それにより、参加者が任意となり、保護者同伴で現地集合現地解散ができる。崇史の勤務校の子供たちは放流体験を出来なくなるが、事前に飼育、観察のみ行うと伝えておけばよかった。息子が通う学校で飼育するサケは学校に任せることができる。また、崇史が「上町倶楽部」の活動にしたい理由が別にあった。最近、会の活動がお祭りの警備か親睦目的の飲み会かになっていて、本来の会のお題目のはずである子供が元気になる活動が出来ていないことに不満があった。昨年度、崇史が会長を務めていた時は、子供が元気になる活動を念頭にしてきた。しかし、新会長になるとこれまでの活動を踏襲は良いとして、会の最大のイベントだった学校きもだめしが新校舎移転の影響で中止になると代替の企画もないままになっていた。今回、サケの発眼卵をまとまって提供してもらえることになったので崇史が新企画を立ち上げ、子供たちに貴重な経験をさせ、「上町倶楽部」の活動を活性化させたいと考えた。そこで企画書を作り、会員の賛同を得ようとした。次の会合で承認が得られれば崇史の思惑が果たせるはずだった。しかし、上町倶楽部の会員の間にはそれぞれ考えが違い、簡単に事は進まなかった。
崇史はその日、始発電車に間に合うように家を出た。辺りは暗く、前の晩から熱帯低気圧が東京上空を通過し、雨が降ったり止んだりだった。地面は一面、濡れていた。自宅前の路地から商店街に出て、駅に向かっていると肉屋の脇から真っ黒な影が這い出てきた。一見、猫に見えるが尾が妙に長い。腹が異様にへこんでいた。崇史が近付くと警戒する風でもなく、四つ足の堂々とした足取りで前を横切り、その先のマンションの脇へと姿を消した。ハクビシン? 崇史はホームでスマホを使って調べると画面に先ほど見た動物が映し出されていた。都内でタヌキやハクビシンが見られるようになったというが近所にもいるのが驚きだった。崇史は電車に乗り込み、動き出す窓の外を見ているとさらに衝撃が走った。線路脇のバー「セラビ」の店の中から明かりが灯っていた。
この店は一年前にマスターが亡くなり閉店したはずだった。高齢になってもカウンターに立ち続け、通の間では伝説になっていた。丁寧な物腰で客の話をよく聞いてくれた。崇史が最後に訪れたのは二年前の冬だった。以前から、高齢のため店を閉める噂が絶えなかったが、店で長年飼っていたフナがいなくなった時には、いよいよだと覚悟した客がたくさんいた。崇史が店を訪ねたのはそんな時期だった。職場の同僚と近くで飲み、その後、もう一軒、ディープなお店があるが行きませんかと崇史から誘った。同僚も終電まで十分時間があるからぜひとも行こうという話になり、男女五人で来店した。
店に入るなり、
「レトロなお店だね、昭和だよ。」
と同僚の一人が言った。
「本当、昭和な感じがする。」
別の同僚が笑いながら話した。皆、それぞれ棚に置かれた各種酒瓶を見渡し、壁に貼られたメニュー表やレトロなポスターを眺めたりしながらカウンターの席に着いた。五人が席に着くと手狭になるようなスペースであったが飲みながら話をするには十分だった。
「この前、掃除の時間、廊下で子供に掃除の仕方を教えていたら、廊下の先に原さんが床に寝転んだ子供を起こそうと格闘していたんです。原さんのクラスにも大変な子がいるんだと思って、どんな子だろうとよくよく見ると私のクラスの子供でした。この前は、すみませんでした。」
「いいのよ。やんちゃな子供がたくさんいて大変ね。また、何かやっているなと見付けたらすぐにやめさせるよ。」
「水原さん、本当は学級の子供をあなたが面倒を見ないといけないんだよ。」
「いいのよ。あの子は私に会うと声掛けてきて人懐こいでしょ。」
と原は笑って答えた。あの頃、崇史は職場の親しい同僚とよく飲みに行き、気心の合う仲間で集まっては他愛もない話をしていた。崇史がこの店に誘ったのは親しい同僚に自分のお気に入りの場所を知ってもらいたい気持ちがあったからだった。崇史は得意気になって不意にマスターに話しかけた。
「前にこの店に来た時に水槽で飼っていたフナはどうしたのですか?」
マスターは突然、話し掛けられたが、普段から慣れているのか自分に話が向けられたと察知するとそれまで寡黙だったマスターが話し始めた。
「もうこの年齢だから世話が出来なくなって多摩川に逃がしたんです。」
「そうだったんですね。多摩川で釣って長年飼われていたのを以前、話してくれたので気になりましてね。」
他愛もない話でその後、続かなかったので崇史は皆が関心をもつ話題にしようと、
「私達は仕事の同僚なのですが、どんな仕事だと思いますか?」
マスターは少し考えた様子で間を開けて
「そうですね。教育関係のご職業かと思います。違いますか?」
見事に言い当てられ、崇史たち一同は笑みを浮かべた。そして一人が
「遠からずですね。鋭い。」
と言うと別の一人が
「どうして分かったのでしょうね?」
と言った。皆、ほろ酔い加減で和気あいあいとした気持ちの良い時間になった。
楽しいひと時だったが、毎朝、車窓から一瞬で過ぎ去る「セラビ」を目にしているとその存在も頭の隅に追いやられていった。だが、閉店したはずの店の明かりが崇史の記憶を呼び起こした。さらに、この時期から崇史は同僚の原のことを意識し出していたことが分かった。
*
(サケの話はどうなりましたか?)
崇史の携帯にメールが届いた。送り主は山越からだった。上町倶楽部の旧来のメンバーだった。
(次の会合で提案したいです。準備はできています。)
崇史が返事すると、山越からすぐに返事がきた。
(じゃあ、学校への提案はその後ですか? 間に合いますか?)
サケの発眼卵の提供がようやく決まり、上町倶楽部を通して配布の計画を進めていた。崇史は前回、概要を説明したところ、メンバーたちも興味を示し、好感触を得ていた。たが、学校で飼育するサケを年末年始にどう管理するか検討に入ると、預かり手は誰がするか、予算立てが出来ていない企画を承認できないという声が上がった。崇史はこれらの疑問を生む原因がメンバー間の不十分な情報共有の基で話し合いが行われているからだと考えた。見通しのもてるように再提案が必要だった。そこで活動の全容が分かる企画書を書面で用意した。山越は活動実施が間に合うか気にしていた。
(上町倶楽部で承認が取れれば、翌週、私が学校に行き、説明をします。)
今回の企画で山越が賛否どちらの立場か明らかにしていないが、新企画に警戒感を抱いているのは明らかだった。崇史がメールのやり取りで下手を打つと会合に提案する前に山越に企画を握り潰される不安を感じた。
(次の会合で承認がとれなかったらどうしますか? その日は、忘年会が後に予定されていてあまり時間が取れないですが?)
山越のメールは否定的な内容が続き、不安を引き起こしたが、崇史はこの企画だけはどうしても通したかった。
(とれなければ諦めます。)
崇史は返事をした後、山越に今のメールで誤解を引き起こさないか心配になった。先の山越のメールには「承認がとれなければ」の意味で返信した。しかし、今の山越の出方から推測すると「時間がとれなければ」と解釈し、この時点で崇史が提案を諦めたと受け取られ兼ねない。山越が握り潰しを目的に反対派と結託していたなら、水原崇史は次回の会合で話し合いの時間が取れなさそうなので諦めたと判断し、次回の会合の議論に上がらないように根回しされ兼ねない。崇史は不安を覚え、相手の返事が来る前に次のメールを送った。
(まずは十二月七日に提案して決めたいです。)
その後、山越のメールが来た。
(大変だと思いますが、よろしくお願いいたします。)
メールを見て、崇史は安心した。同時に自分が疑心暗鬼になっているなと感じた。教育現場では安全管理が最優先されるのはもちろんだが、教育効果が望める場合には実現に向けて話し合いが向かっていく。しかし、上町倶楽部では様々な業種の人がいて、職務上優先にしていることが多少違ってくるのだ。崇史が上町倶楽部の会長を務めていた時には、事あるごとに多様な業種の人々の集まりで、それぞれの専門性が生かされる強力な集団だとアピールしてきた。しかし、崇史がこれから行おうとする企画の話し合いでは実現に向けて妨げになる懸念があった。それでも企画を丁寧に説明し、やってみようという声が高まれば潮目が変わると期待し、企画書をまとめていた。これまでの話し合いで課題に出た年末年始の管理の仕方を修正し、予算が掛からない内容に直していた。まずは、話し合いの場で提案することが実現に向かう道筋だった。
(企画書を先に見せてもらえますか?)
再び山越からのメールだった。先にこちらの出方を掴み、反対派で対策を立てるつもりだろう。構わない。対策を立ててこようが会合で参加者全員に今回の企画が実現可能で子供たちが貴重な体験をできる活動だと伝える。後は参加したメンバーが意見を言ってくれる。
(分かりました。枚数が多いのでポストに投函しておきます。)
崇史がポストに投函し、会合前日に山越からメールが届いた。
(明日の上町倶楽部で話になると思いますが、何部か資料を用意しておいてください。畠中さんと小和田さんには先に送っています。)
崇史が予想した通りだ。あちらは結託して企画を阻止しようとしている。上町倶楽部の会長を降りたのも山越と小和田の裁量だった。その年の年末に山越に飲みに行きませんかと誘われ、行ってみると水原さんはこれから新入学の子がいて在籍が長くなる。一度、会長を退いて後進に道を譲ってほしいと言われた。山越の行動は小和田が裏で手を引いていた。崇史が会長のポストについた時も二人にファミレスに呼ばれ、上町倶楽部の黎明期のメンバーから会長を出したいと言い出してきた。他にいる会長候補は、五年後の周年のPTA会長を見据えてその足掛かりにねらっていると説明された。他に選択肢がないとまで言われ、重い腰を上げて就任した。しかし、資金繰りで小和田と意見が対立するとその年の暮れには山越を使って退任を迫ってきた。崇史は小和田という人間を妻と話したことがあった。妻はPTAの役員でやり口を心得ていた。決してトップに立つことはないが、ナンバー2の立場で組織を牛耳る。山越は小和田の意向に従うので上町倶楽部の会長やPTAの会長を歴任している。PTA会長の任期満了後は地域の防災の取り組みの仕事を希望している。山越としては、地域との繋がりがある小和田と良好な関係を築いておく方が得策だと思っているだろう。
「山越さんは小和田さんの言いなりで役員会でPTA会長としての意見を求められても自分の意見を言わないんだよね。回答を待っているといつも小和田さんが決めてしまう。おかしいんだよ。」
と妻が言っていた。小和田は地域にかける関わり方が桁違いだった。皆、小和田の好きなようにさせれば良いと任せがちだった。だが、崇史は、こちらが企画した時に反対の立場になるようなら、小和田の根回しが腹立たしかった。崇史は、今回の企画はどうしても実現させたかった。
職員室から話し声がなくなり、校舎はすっかり静まりかえっていた。ふとドアをノックする音が聞こえ、音がした方に目を向けると引き戸を開いたのは原だった。
「もう皆さん、帰られたので職員室は誰もいません。私も帰ります。戸締りをお願いします。」
と原は言った。崇史は分かりましたと返答した。原は戸を閉め、立ち去った。そのすぐ後に
蛇口から勢いよく流れ出した水音が途中、弱まるのが聞こえた。どうやら原がそこで水を飲んでいるようだった。原の姿を想像すると同時に、まだ原が崇史に好意をもってくれていると感じた。以前と比べると職場で顔を合せても話す機会もなくなっていた。同僚とで飲みに行くこともなくなり、疎遠になっていた。崇史を気に掛けてもいないのでは思っていたが、今回、わざわざ声を掛けた後、近くで水を飲んでいくことがあなたのことはまだ仲のよい存在ですよと伝えているようで嬉しかった。たとえ、原がそんな気なしの動作だったとしても、崇史は好意的に受け止めたかった。誰もいなくなった校舎で崇史の気分は高揚していた。
崇史は、冒頭で今回の企画は都内の学校で広く行われていたこと、子供たちの貴重な体験の機会となり、上町倶楽部のメンバーにとっても楽しめるはずだと話した。崇史が前回の説明で触れていなかったところを大まかに話し、詳細は書面で確認するよう伝えた。
「この企画は、我々、上町倶楽部が関わるところがあまりない。水原さんが個人でしている活動のように思える。確かに放流のところで参加者に説明したり、見守る場面があるが、上町倶楽部の活動らしくない。」
と野口が話し合いの出鼻を切った。上町倶楽部の活動らしくないと野口は言っていたが、そもそも活動の定義があるのかと崇史は思った。
「活動の中では我々が関わる部分は少ないのは確かにありますが、飼育開始から放流までの長い期間を子供たちが活動を楽しめるように計画されているのでやってみる価値があると思います。」
と崇史は意見を述べた。
「まぁ、水原さんがおっしゃることもごもっともなんですが、野口さんは上町倶楽部らしくないという理由で承認できないとおっしゃるんですね。」
と畠中がわざわざ話し合いの状況を整理した。しばらく沈黙が続いたので畠中はさらに、
「日山さんは、前回、年末年始にサケの稚魚を預かってもよいとおっしゃっていましたが、今回の企画はいかがお考えですか?」
と話を振った。日山は崇史がこの企画提案する前にも先に話を通し、また生き物好きだったため、崇史の企画を支持してくれていた。
「僕が思うのは上町倶楽部らしいとか、らしくないは必要ないんじゃないですかね。」
畠中は日山の発言の意図を図りかねたようで、
「野口さんは上町倶楽部らしさを重視しているのに日山さんは、なぜ必要ないとおっしゃられるのですか?」
と再び日山に話を振った。
「名前を出すようで申し上げにくいのですが、だったら『動物ふれあいパーク』だって、平日開催で参加できるお父さんだってほとんどいないですよね。」
日山がそう話すと山越が気まずそうに
「あの企画は確かに私の会社と私とその日、参加できるお父さんでしていますね。」
と認めた。
「だったら上町倶楽部の活動らしくないですよね。」
日山がそう言うと、野口は先ほどの勢いがなくなり、声を絞り出すように
「上町倶楽部らしさは別にいいですけど、僕はこの企画に反対です。」
と語尾が聞き取れないほどのか細い声で言った。野口も結託した側に同調したいだけで大した考えなどないのだ。その時、部屋の扉が開き、しばらく参加していなかった東海林が入ってきた。
「遅くなってすみません。皆さん、お久しぶりです。」
「久しぶりだね、東海林さん。まあ、座って。」
崇史は東海林が席に着くのを確認すると資料を持って近付き、内容を大方、説明し今の話し合いの争点を伝えた。
「野口さんは現在も反対なのですね。」
畠中が反対しているメンバーがいる状況を全員に思い出させた。しばらく沈黙があった。崇史は野口になぜ反対なのだと問い詰めることもできたが野口は納得できるような説明ができないだろうし、野口を刺激すると反対派の反発を招くようなものだと判断した。ここは私でない、他の誰かが企画実現に向けて意見を言ってくれると助かるのだが…。崇史は日山を見たが、野口があっさり矛盾を認めたため、それ以上、話すつもりがないらしい。しばらく続く沈黙がもどかしかった。誰かがたてた紙ずれの音が時々、鳴った。その時だった。話し合いが両者譲らず膠着しているのを見て取った東海林が沈黙を破った。
「やってみればいいじゃないですか。メンバーがやりたいって言っているんでしょ。何でこんなに対立した話し合いになっているんですか。」
崇史は願っていた意見が出て内心、喝采したかった。崇史は表情に出ないように努めながら話がどのように展開するのかを見守った。
「実施するとしたら、せめてこの場にいるメンバーの合意が得られないとまずいでしょ。」
畠中が話し合いの勢いで承認を許さない構えを崩さなかった。
「今回、企画の全容は伝えました。前回、課題だった点はクリアしています。あと、何が必要ですかね?」
崇史が聞くと、山越が
「この計画だと放流で河原に集まって逃がして終わりですか? この時期、河原は寒くて長い時間、留まっていられないのはわかりました。だったら近くの公民館を借りて参加者を集めて何かできるといいんじゃないですか? でも、調整する時間がないからもったいない。」
栓の無いことを言ったものだ。崇史は今回、課題に挙がったことは次回申し送りにし、可能な範囲で実施してはどうか言いたかった。しかし、こちらから企画実施までが差し迫っている焦りを認めた発言は控えたかった。長い時間が経過しメンバーの疲れも出てきた。察した学校側代表の本多が発言した。
「このままだったら話がまとまらないので学校の管理職に確認したらどうですか? ここで決まったとしても最終判断は学校ですからね。」
崇史は本多の意見で進めた場合の要所を押さえようと
「確認なのですが、先に学校の承諾から取って良いんですね。話してみないとどんな返事なのかは分かりませんが、もし通ったらどうなりますか?」
と全体に確認をした。
「そうなったら、三者で最終判断ですね。現会長の畠中さん、生き物を扱った仕事をしている山越さん、そして提案してくれた水原さんですね。」
と小和田が言った。実施するかの結論は予想していなかった着地点で持ち越しになった。学校への提案が先になるが企画実施の道は残された。
崇史はサケの飼育が始まった場合の水槽内の水温管理の仕方を考えていた。理想は廊下置きにすれば良いのだが勤務校の狭い廊下だと児童が衝突する危険が付き物だ。だが、室内だとエアコンの影響を受けて水温がすぐに上昇する。水温を管理する水槽用のクーラーがあるようだが、高額でとても手が出ない。インターネットで調べると自作の水槽クーラーで一台八千円程度でできるようだ。五つの水槽で五台必要になる。自腹を切るか。企画の準備は進んでいた。
崇史が学校に企画を持ち込むと、好意的に受け止めてくれた。ただ、学校で飼育するのに難色を示した。飼育していた子供は放流を希望するだろうし、教員が引率せざるを得なくなる。教員が普段の業務で疲弊しているのに休日出勤はお願い出来ない。そこで上町倶楽部が学校を介さず、卵を配布し、各家庭で飼育する。放流は現地集合現地解散の活動のみ行うことを希望していた。崇史としては多くの子供たちが活動に参加できるので学校の提案に賛成だった。無理に教員を動員させて働き方改革に逆行することは避けたかった。さらに学校は崇史の企画で子供たちが貴重な体験ができると喜んでくれているので折り合うことができた。
崇史は学校の承認が取れたので最終判断に指名されている畠中と山越に連絡した。いつもは直ぐに返信してくる山越からは何の返事もなかった。畠中がしばらくして返信してきた。
(学校側の回答は分かりました。最終的に予算はどのくらいですか?)
崇史は概算を伝えた。しばらくして、畠中から返信がきた。
(正直言うと上町倶楽部でやる意味が見出せません。現地までの移動中に事故があれば、会の存続が不可能になります。また、今回の提案は焦っているようで賛同しかねます。上町倶楽部の名前でなく、有志一同にしたらどうですか? )
崇史は文面を見た時、ずいぶん勝手なことを言っているなと思った。移動中の事故の責任など言い出したら何もできないと思った。リスクを避けるために現地集合現地解散にしたのだ。活動中のリスクを軽減させたのに活動前後の参加者が負うべき責任もリスクの対象に挙げたら何もできない。崇史は収まらない憤りを日山にメールし、畠中は最終的には感情的になり、乱暴な決定をしたと伝えた。
崇史は水槽の底でじっとしている数百匹のサケの稚魚を眺めていた。年末に届いたサケの発眼卵は年始にふ化を始めていた。一匹一匹がそれぞれ自分の意志をもち、動き回る様子を見ていると飽きなかった。崇史は水槽を設置した教室の子供達だけでなく、学校にいる全ての人にサケの稚魚が乱舞する様子を見てもらいたかった。見た人が驚き、誰かに伝え、口伝えに噂が広がり、いつの日か原が見に来てくれればどんなに素晴らしいことかと願わずにいられなかった。いつの日かそんな淡い期待が日常を張りのある時間にしてくれた。
(セラビが再開しているようです。飲みに行きませんか?)
山越からのメールだった。何の用事だろうと訝しく思った。以前、上町倶楽部の活動を開始した頃、一緒に行ったことがあった。要件は分からないが話を聞くだけならばと承諾した。
店に入ると、まだ山越はいなかった。カウンター越しに三十代くらいの正装した若い男が今度のマスターだと見て取れた。棚に置かれた酒瓶、壁に貼られたメニュー表が見え、以前と変わらなかった。生前のマスターの写真が真新しかった。山越に到着したことを連絡するとすぐに山越が店に入ってきた。
「今日は誘っていただきありがとうございます。」
「再開したと聞いて、ぜひ水原さんと来たいと思ってね。」
崇史は若いマスターに話し掛けた。
「以前、この二人でお店に来たことがあって、その頃、店内に水槽が置かれていてフナが泳いでいました。」
「祖父は掃除ができなくなってフナを手放しました。一緒に多摩川に逃がしに行きましたよ。放す時、長年世話をしてきたので振り向いてくれるかなと思っていたけれど、サァーっと泳いで行ってしまって祖父は残念がっていました。」
その後、山越との話は弾まなかった。崇史はサケの企画で山越の発言にわだかまりがあって、他の話題を振るような余裕がなかった。ほろ酔い紛れに崇史は一連の上町倶楽部の体質に批判を浴びせた。
「今の上町倶楽部は、提案者を助けようとする姿勢がない。反対は唱えるが代案を出そうとしない。提案したら吊し上げるような話し合いを平気でしている。」
「そうですか。水原さんの提案でもったいなかったのは放流した後、解散でしょ。先ほど、マスターが言っていたじゃないですかぁ、飼っていたフナを放流する時、あっという間に行っちゃったんですよね。もったいないですよ。」
「もう上町倶楽部では提案はしません。」
「どうしてですか? 十分に話し合う時間をとれば皆が賛成する企画になるかもしれませんよ。」
山越は子供が三月には卒業で来年度はいないので無責任なことを述べられたものだ。その後、山越といるのも嫌気が出てきて話が深まらず、早々に解散した。
三月中旬、崇史はサケの稚魚の袋詰めの入ったリュックを背負い河原に来ていた。崇史は家族を連れて来ていた。子供たちは電車に乗る時間が長いと不満を漏らしていたが、堰堤から取水塔に止まるハヤブサの姿を認めると滅多に見られない猛禽類に興奮しやる気を見せていた。
崇史はリュックからサケの稚魚の入ったビニール袋を取り出し、水際に袋ごと浸けた。放流前に水温を調節する作業だった。待っている間、崇史はここに来るまでの出来事を思い起こしていた。サケを飼育し放流まで夢中になって取り組み、充実した時間を過ごすことができた。また、原への恋慕の思いもサケの飼育を通して叶えたいと下心を抱いていたが、原が生き物に疎いことが人づてに分かり、急に気持ちが覚めてしまった。思いを募らせた時には気持ちが落ち着かず、それでいて四十を過ぎて何を思い悩んでいるのかと自責の念が湧いていた。恋煩いとは平常心を乱す厄介事なのかもしれない。期待してしまう自分の浅ましさに自分の弱さを見た。相手を自分の理想に近付け、その幻想に浸っていた身勝手さに自省していた。原は年度の終わりに異動することが決まっていた。職場で顔を会わすことがなくなればやがて忘れていくだろう。
「パパ、もう放流してもいい?」
長男が聞いてきた。
「もういいだろう。よし、じゃあ、始めるよ。」
崇史はビニール袋の封を切り、一気に中身を川に流した。中から水と一緒に小さな群れが川の流れに飛び出した。一匹一匹が力強く尾っぽを振って泳ぎ出した。
「サケさん、元気でね。」
「大きくなって戻って来てね!」
息子たちの呼び掛けが可愛かった。近くの葦の原っぱを猛禽類のチュウヒが翼をⅤの字にしてゆっくり滑空していた。(完)