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「マイクロプロセッサ」—従来、半導体製造では、依頼主が自らシステムを考え、開発元に伝え、製品化されていた。電卓を例にあげると、電卓メーカーが電卓専用の半導体チップを依頼し、半導体製造会社が電卓に特化した専用の回路を提供する。そのため、システムを変更するときには半導体チップの物理的配置を変えていた。しかし、システム変更において開発側が物理的にパーツを動かさなくてもプログラムを書き換えるだけでよいマイクロプロセッサが誕生した。このマイクロプロセッサを開発したのはサンタクララにあるインテル社という会社だった。インテル社はこの製品を「チップ上のマイクロプログラミング可能なコンピュータ」というキャッチフレーズで売り出した。電気をよく通す物質を導体、電気をほとんど通さない絶縁体、マイクロプロセッサはその中間の性質をもつ「半導体」に属する。半導体はそれ自体ではほとんど電気を通さない。だが、電圧をかけると、内部の「自由電子」が一方に引き付けられ、一端に集まる。十分な電子が集まると大量の自由電子をもつ金属のような導体へと変化する。この半導体の基板の上にある「ICチップ」には数十億個の「トランジスタ」という微細なクリップが格子状に並べられている。トランジスタには電流を増幅させる働き、そして電流がオンとオフとに切り替わるスイッチの働きがある。また、基盤の上にはICチップの他に「コンデンサ」というチップが取り付けられていて、その性質は一方で電気を蓄える働きがあり、他方で時間が経つと放電してしまう性質がある。トランジスタとコンデンサの組み合わせの妙技はさらに面白い。トランジスタは半導体内の微弱な電流を増幅させ、コンデンサに送る。さらにトランジスタから電流がオンになって流れたり、オフになって流れなくなったりしてコンデンサに伝わり、電気信号として記録される。これらの記録が「記憶」の機能を果たす。その記憶機能を利用してマイクロプロセッサにさまざまなソフトウェアがあらかじめプログラムされ、同一の設計回路で、多種多様な計算ができるようになった。やがて時代を追うごとにマイクロチップが極小化していき、身の回りの家電等に使われるようになった。我々の生活を便利にし、時々、家電の蓋の隙間から顔を覗かせるようになったが、手で触れる機会は全くなくなった。それほど、精密になり、取扱は専門家任せのものになったのだ。しかし、今日のデジタル社会を裏で支える半導体を始めとするハードウェアの働きを知ってほしいと父のタカシは思っていたようでソウスケは父が用意した学習プログラムに取り組むことになった。
まず、一緒に自作パソコンを作った。父は一度、組み立てをした経験があり、コンピュータの内部の動きをイメージするのに役立つと思ったようだ。その経験をぜひ、ソウスケにも学ばせたいと話していた。取り寄せたパーツをソウスケに見せ、コンピュータの五大機能を話し出した。父の選び抜かれたパーツが目の前に並んでいた。組み立てた後のことも考えられていて、性能の高いものを揃えていた。マザーボードと呼ばれる各装置をつなぐ基板の上に、プログラムを読み、与えられた命令を忠実にこなすCPUというパーツを取り付けた。このCPUは中央演算処理装置と呼ばれるコンピュータの心臓部分で、マイクロプロセッサを指す。さらに記憶装置のメモリ、SSDと呼ばれるパーツを取り付け、モニター、各種ケーブル、電源装置、周辺機器のキーボード、マウスをつなぎ、仕上げた。組み立てる前は、パソコンはモニターに性能の高い装置が取り付けられていると思っていたが、実はモニターは出力しているだけで、本当の意味で機能を引き出しているのは、CPUやマザーボード、メモリやSSDなどのハードウェアなのだとソウスケは実感することができた。
次に、「ロビ」という組み立てロボットを渡された。これは、ロボットクリエイターの高橋友隆氏がデザイン・設計をし、ディアゴスティーニ・ジャパンから週の火曜日ごとに発売され、パーツが届く商品だった。この「ロビ」というロボットはソウスケにとっては目新しいものではなかった。一度、父が組み立てたことがあったからだ。話しかけると歌い出したり、新体操のようなポーズまでしてくれたりした。面白がって繰り返し注文をしていると、ある時、ダンスの途中で右腕を上げたまま肩から突然、煙を出し始めた。そばにいた母があわてて電源を切ってくれた。その直後、父の詳細な原因究明が行われ、故障箇所が明らかになった。CPUを搭載したマイコンボードと呼ばれる半導体基板と右肩とをつなぐケーブルが焼きただれていた。父の話によるとケーブルの取り替えはもちろん、おそらくマイコンボードも駄目だろうと話していた。ロビの肩の動作に何か無理な力がかかり、通常よりも強い電流が流れたため、ケーブルから火が出たと教えてくれた。修理をするには、メーカーに連絡をし、部品の取り寄せが必要だった。父はすぐに修理せず、それ以降、父の書斎部屋として使っている、天井の高さが140センチメートル程のロフトの床の上で放置されていた。だが、今回、父のハードウェア学習プログラムでソウスケがロビを組み立てることになった。
ある日、父から書斎部屋に呼ばれて行ってみると、ロビが床に立っていた。両腕、両足を一定のリズムで小刻みに震わせていた。父がロビにこんにちはと話しかけると、コミカルな動作を付けながらこんちにはと返事が返ってきた。父がメーカーから部品を取り寄せ、前日までに修理を済ませていた。
「これからパパがロビを解体して、一から組み立てられる状態にしておくよ。たぶん、明日の昼過ぎにはソウスケに渡すね。」
と父から言われた。これから自分がロビを組み立てるんだと思うとソウスケは胸が高鳴った。翌日、父が昼頃、帰宅すると解体を済ませたロビのパーツを見せてくれた。二十個のモーターがテーブルに並べられ、ロビの体のどこの部分に使用するのかが分かるように付箋が貼られていた。その他、頭部、左右の腕、足の部分のパーツがまとめられていた。ネジは金属の小皿に一つにまとめられていた。ネジの長さに違いがあるので、近くに定規が置かれ、すぐに測って調べられるようになっていた。これらの作業環境と組み立て方の書かれた小冊子の束を与えられた。いくつか注意点を聞いた後、組み立てが始まった。小冊子の説明と写真とを見ながらパーツを探し出し、ネジで留めてみた。どうもおかしい、ネジが奥まで留まらない。こんなにも難しいものかと開始早々、音を上げたくなった。近くで本を読んでいた父にネジが回らないんだけどどうしたらいいかと尋ねた。父はパーツを手に取り、小冊子のページと見比べ、ネジの取り付け箇所が違うと教えてくれた。ソウスケはもう一度パーツと写真とを比べると確かにネジの位置が違っていた。その後、写真と同じ向きになるようにパーツを持って作業を進めると組み立てが楽にできた。途中、脇目も振らず作業を進め、この分だと一両日中に終わるかもと思い始めた矢先、右腕の動作テストでつまずいた。動作テストとは組み立てたロビの体の部位をマイコンボードからの指示で正常に動くかを調べる検査だった。右肩から出ているケーブルをマイコンボードにつなぎ、さらにバッテリーも取り付けると動き始めるのだが、全く動かなかった。父に右腕が動かないと伝えると、原因の多くはモーターとをつなぐケーブルの取り付けが十分でないか、ケーブルに断線があるか、もしくは部位ごとに振り分けられているモーターの取り付け違いがあるかのいずれかだという返事が返ってきた。さらに、点検の進め方が分からないなら、動かない場合の手引きを見るとよいと教えられた。早速、マイコンボードに近い方から手引きで書かれている箇所を確かめ始めた。それまで組み立てた部位を解体し、異常がなければ、再度、動作テストをし、改善が見られないとさらに他の箇所の点検に及ぶ。この調子だと一筋縄ではいかないことが分かってきた。ソウスケが根詰めて作業する様子を見かねて、父から助け舟が出された。
「改善箇所を見付け、修正し出すと、ついつい気の焦りが出てきてカッとなってくる。カッとなると作業が雑になり、ケーブルを断線させたり思わぬトラブルが起きてくる。そんな時は、一度休憩をし、しばらくして冷静になってから作業をするといいぞ。」
と教えられた。父の言葉どおり、ソウスケは休憩に入ることにした。何しろ、飲まず食わず、あっという間に三時間が経っていた。父からは今回の動作テストは序の口でこの先、乗り越えなければならない大きな山場が二箇所あるから心構えをしておくとよいとも伝えられた。組み立て作業ではあるが、電気系統の回路を作っておかないと動くものも動かない。押さえるところは回路だ。ここは単純に考えて作業を進めた方がいいとソウスケは思った。一度、作業を止めたが、特に気分転換に別の作業に入る気にはならなかった。だが、気持ちが休まらないうちに再開すると、その後が雑になる気がした。そこで、ロビの組み立てで使っていた小冊子に人型ロボットの記事が書かれていたことを思い出し、手当たり次第、めくっては関心ある記事を読み始めた。記事には、デザイン・設計をした高橋友隆氏がロボットと暮らす未来に対してロビが果たす役割について次のようなことを語っていた。「ロビが近くにいることで、ロボットと暮らす未来のビジョンを無意識に先取りして体感できるはず。(中略)近い将来発売されるであろう、本当の意味での実用的なコミュニケーションロボットにつながっていく。」この記事が書かれたのは今から十年前だ。現在、実用化されているコミュニケーションロボットをソウスケはネットで検索してみた。二足歩行型や置き型タイプ等、様々な商品が販売されていると書かれていた。中にはAIを搭載し、学習していくものもあることが分かった。また、人型ロボットの進化を紹介した記事には、AI機能が進化していくと、人型ロボットが人に替わって社会を動かす可能性について論じられていた。ただ、ロボットが人の知能と同じになる「シンギュラリティ」はおそらくまだ先の未来だろうと専門家が述べていた。その理由は、AIに「感情」をもたせる技術が開発できていないからだそうだ。AIの研究、開発はブームの発生と終焉がこれまで二度あり、現在は、チャットGPTが実用化され、三度目のブームの真っ只中にいる。作成される文章は精度が高く、ついに人を超える日が近いと感じさせるが、AIは大量のデータを基に言葉を並べているに過ぎなく、意味も分からず、組み立てているそうだ。本当の意味で言葉を使いこなすには感情をもたせることが必要だと書かれていた。感情は人間に限らず、生命にそなわっているものだ。いつの日にか生命の研究から感情の発生の仕組みが解明され、AIに搭載されるのかもとぼんやりとした未来をソウスケは想像した。その他、気になることが書かれていないかと探しているとこんな記事が目に入った。
半世紀前のウィルスの再来が現れる!?
先ごろ、個人が所有するパソコンにめずらしいふるまいをするコンピュータウィルスが見つかった。ページを開くと画面上に「俺はクリーパーだ!できるものならつかまえてみな!」というメッセージが表示された。このメッセージは1971年に見つかったコンピュータウィルス「クリーパー」と同じ特徴が見られることから「クリーパー2.0」と命名された。他のコンピュータに移動先を定めると自らデータを消去し、消滅するふるまいをし、自己複製を続けて宿主のコンピュータを破壊することはない。
記事を読んでいると、父がパソコンを使おうと近付いて来たので、席を譲り、ソウスケはロビの右腕の動作テストを再開した。父に言われた通り、右ひじのモーターとケーブルの接続が十分でないところが見付かった。接続を済まし、再度、動作テストをすると右腕が動き出し、正常な動きを始めた。その後、左腕、右脚と順調に動作テストを一発でクリアしたが、左脚が動かなかった。再び、手引きを見ながら点検に入ると長時間に及ぶことが予想されたので、この日の作業を終えることにした。
「ハッカー倫理」—ハッカーと聞くと多くの人が悪人を思い浮かべるかもしれない。しかし、それは大きな誤解である。確かに、どこの世界も悪事を働く人間がいるものだが、ハッカーは謎多き人々として世間では一括りにされているのが残念でならない。その誤解を解くため、ここでハッカーを生み出したアメリカ合衆国の東海岸のある時代の一風景を伝えておきたい。1959年、マサチューセッツ工科大学のとある教室にIBM―704という大規模で高速な電子計算機が置かれていた。使えるのは一度に一人だけだった。座ってこのマシンと対話しながらプログラミングをしたいと学生が周りを囲み、面白そうなことをやっている他人の背中越しに覗き込む有様だった。ある時は、ずらりと並んだランプの一列を利用するプログラムで、小さなランプが順序よく点々と点滅し、一見小さなボールが動いているように見える。そして、タイミングよくボタンを押すと、ランプの動きは反転するのだ。彼らは最小の命令で最大の効果をあげようとプログラムの圧縮に熱を上げた。「ハッカー」という言葉は、創意工夫を発揮して見事な結果を残す者のことであり、その結果を『ハック』と呼んでいた。ハッカーたちにとっては、システムそれ自体が目的だった。ほとんどのハッカーは、ほんの子どものころから、システムに魅了され続けている者たちだった。彼らは、システムをつくり出す究極の道具はコンピュータだと悟るや否や、人生のおいて他のほとんどすべてのことを顧みなくなってしまっていた。彼らが、壊れたり、改善が必要なものを直したいと思うときには、特にそうだ。不完全なシステムほど頭にくるものはない。ハッカーの一次的本能は、そいつを作り替えることだった。彼らは初めから悪だくみをしようと構えているのではなく、システム、社会を動かす仕組みを分解し、その動きを観察し、そこから得られる知識を使って、新しくより面白いものを作り出していくことができると信じていた。それを妨げようとする人間、物理的障壁、法、すべてに憤りを示した。ハッカー倫理とは、コンピュータは、誰か、特定の者に独り占めされるものとして使われるべきではなく、コンピュータをもっと使いやすく、ユーザーにとってはエキサイティングなものにすること、コンピュータと戯れ、コンピュータを探索し、ついにはコンピュータでハックせずにはいられなくなるほど、面白いものにすることを目指すものだった。筋金入りのハッカーで、アップルの共同創設者であるスティーブ・ウォズニアックはハッカー倫理に忠実だった。自ら設計したマシンの回路チップの配線から、内蔵されるプログラミングのコード上のコツのすべては詳細に文書化され、希望者には誰にでも配られた。スティーブ・ウォズニアックの姿勢を範としハッカー倫理はもちろんのこと、ハードウェアとソフトウェアの両方に精通することを目指したいとタカシは考えていた。
タカシが作ったハードウェア学習プログラムは効果を出し始めていた。ソウスケのハードウェアへの関心が日に日に高まっていくのが見られた。入学した高校ではコンピュータ部に入部するほどだった。タカシがコンピュータ部の活動をソウスケに尋ねると、ロボット班と動画班、ゲーム班とがあり、ソウスケはロボット班に入っていると話していた。ただ、活動の途中で他の班への応援に駆り出されることもあると話していた。また、ロボット班では部が所有している3Dプリンターでパーツを作るため、操作方法を教えてもらっているそうで、ロビの組み立ても面白かったが、オリジナルを考え、作る面白さがあるとも話していた。ソウスケのコンピュータ部入部からしばらくして、ソウスケから自作パソコンにグラフィックボードが付いているかと尋ねられた。このグラフィックボードとは、ゲームの画素等の制御を得意とする装置である。画素の制御では同一の計算を複数同時に実行できるとスムーズに処理できる作りになっている。CPUは、処理が一つずつ逐次的に行うことしかできないので待ち行列を作らなくてはならない。これがグラフィックボードだと、複数同時に計算できるように設計されていて並列処理ができる。タカシはパソコンの作業上、グラフィックボードが必要だったので、ソウスケとパソコンを組み立てた後に、取り寄せ、取り付けを済ませていた。そこでタカシはソウスケに取り付け済みだと伝えた。その時は、ソウスケも了解した様子だったが、翌日、コンピュータ部の先輩から現在、自作パソコンに搭載されているものよりもさらに高性能のものを取り付けるように言われたと話していた。勧められたものをインターネットで調べると六万円近くの高額パーツだと分かった。グラフィックボードは値が張るのをタカシは知っていた。タカシとしては、易々とパーツ交換はしたくなかった。そこで、ソウスケにグラフィックボードはすでに取り付けているし、さらに性能の高いものを何に使うのかもう一度、聞いてくるように伝えた。数日後、ソウスケはレイトレーシングの効果を出すためだと言われてきた。タカシがネットでその用語を調べるとゲーム等のグラフィックを高める効果を指すと書かれていた。タカシの判断では必要ないと受け止め、ソウスケに先輩には指定されたものに取り換えたと適当に返事しておくとよいと伝えた。ソウスケを通じてしかコンピュータ部の活動内容が見えなかったので、タカシの想像では、動画の撮影などで編集作業をする際、そのレイトレーシングの効果を求められるか何かなのだろうと考えた。ソウスケと一緒に作った自作パソコンが部活動で活用されることでさらに興味が深まることが期待され、タカシとしては願ってもないことだった。ソウスケの部活ではインターネットにつながらないパソコンを使っての活動だとも聞いていて、自宅のパソコンでしかできないところは持ち帰って進めるのかもしれない。ただ、作業環境はソウスケが所属するコンピュータ部の関係者しか知らない情報のため、ソウスケから聞き出すしか深入りできなかった。ある日、ソウスケからグラフィックボードを自分の貯金を出すから買いたいと言ってきた。ソウスケが自腹を切って買いたいと言うのがこれまでほぼなかったのでタカシとしては意外ではあったが、正直、嬉しかった。ただ、闇雲に買ったからといって物事は好転するものではないので、改めてソウスケに理由を質した。ソウスケは3Dプリンターで出力する3D画像の編集のために必要だと答えた。タカシはそれなら買ってもいいと思った。ソウスケはタカシにお願いしてくる前に母親に話して断られていた。六万円近くのお金を出すぐらいなら、家計の足しにしたいと思うのは夫婦共通の思いだったので断る気持ちもよく分かった。ただ、タカシが折角、自分から自腹を切って買いたいと言っているグラフィックボードを無碍に突っぱねるのも忍び難かった。そこで、今回は資金をソウスケが出し、購入手配はタカシがし、配送後、妻には内緒でパーツ交換することに決めた。妻に購入したことがばれてしまうと、タカシ、ソウスケ親子ともども大目玉を食らうことは間違いなかった。早速、タカシはネットショッピングで購入を確定させた。到着は二日後だった。ちょうどその日は、タカシも勤務時刻を過ぎてすぐに帰って来られる曜日だった。配送業者から直接、玄関で受け取れれば理想的だった。
当日、タカシは仕事を早々に切り上げ、帰宅を済ませていた。先に帰宅していた妻に配送物を尋ねるとまだ何も来ていないと話していた。受取準備はできていた。しばらくして家のインターホンが鳴った。すぐにタカシがインターホン越しに応答すると配送業者だった。タカシは玄関でグラフィックボードを受け取った。作業するにはある程度のスペースが必要だったので一階のリビングにグラフィックボードを移した。二階で妻が夕飯の支度をしていて、子供部屋にソウスケがパソコンでゲームをしていた。タカシはソウスケに事情を伝え、一階に来るように伝えた。タカシはパソコンの筐体に取り付けてあるケーブルを抜き、脇に抱えた。妻に気取られないように素早くキッチンの前を通り階下に降りた。その後、ソウスケがやってきた。早速、パーツの交換作業を始まった。まず、グラフィックボードの箱をソウスケに開封させた。開封するのは高額な資金を出した人の特権だ。箱の中の緩衝材を剥がすとグラフィックボードが出てきた。ソウスケには慎重に扱うように伝えた。精密機械なので衝撃や静電気などで壊れたら元も子もない。作業は、パソコンの筐体の蓋を開けることから始まった。四隅に指でつまみながら回すネジが使われていたので二人で素早く外した。筐体の蓋を開けると、中身が見えた。グラフィックボードの交換だけなので、簡単だった。まずこれまで取り付けていたグラフィックボードと筐体とを固定していたネジを外し、グラフィックボードをマザーボードから抜いた。次に、ソウスケが購入したものを取り付けるだけだった。作業はソウスケにさせるようにした。筐体を固定するのに、グラフィックボードのネジ穴と筐体のネジ穴とが上手く重ならなかったので位置の調整にもたついた。その後、どうにか固定を済ませることができた。筐体の蓋を閉め、四隅を固定し、二階の子供部屋に運び込んだ。ここまでわずか十分くらいの作業だった。妻にも気付かれずに済ますことができた。その後、ソウスケがパソコンを起動させ、変化を検証させた。ソウスケははっきりと違いを確認できていないようだったが、グラフィックが良くなった気がすると話していた。その後、タカシはグラフィックボ―ドを取り付けたことも頭の片隅から遠のいてしまっていたが、その間に、ソウスケが自作パソコンの筐体の蓋の取り付けが違っているに気付き、熱を外に逃がすために自力で蓋の位置を付け替えたと話してきた。また、別の日にはメモリの取り付け位置が違っているのに気付き、直したと話していた。ソウスケが進んでハードウェアを取り扱うようになってきていた。さらにしばらくすると、グラフィックボ―ドが正しく取り付けられていないのではないかとソウスケが言い出した。部活で使っているパソコンより性能の高いグラフィックボードを使っていながら、同じゲームをしていても動きが明らかに重いと感じ始めたようだった。そこで、再び、タカシと一緒に筐体の蓋を開け、中身を確認することにした。タカシも確信がもてなかったので、インターネットでグラフィックボードの取り付け方を検索し、確認しながら作業を進めることにした。調べてみるとすぐに原因が分かった。グラフィックボードは電力の消費が高いため、他のパーツのようにマザーボードに差し込むだけで電力を得られる訳ではなく、電源装置の空きケーブルから電気を取り寄せ、グラフィックボードにある差し込み口へと流さないといけないことが分かった。タカシはグラフィックボード用に別電源があるなんて思ってもみなかったのでこれまで電源の差し込み口を確かめようともしていなかった。タカシはパーツ交換する前のグラフィックボードは本来の性能を引き出せていなかったことが分かった。グラフィックボードでしていると見られた作業を実はCPUが代わりにしていたのだ。しかし、タカシは気付かずにいた。タカシ自身もハードウェアの扱いをもっと理解しなくてはいけないと思った。その直後に、グラフィックボードへ別電源を引いた後、モニターが映らなくなった。モニターから延びるケーブルの差し込み口を予備のスロットに差し替えてみたが、映らなかった。タカシはこれまでモニターに映っていたものが映らなくなった原因を特定しようと考えた。真っ先に、条件の違いを考えてみた。おそらく別電源を入れてから起きている気がした。試しに別電源のケーブルを外すとモニターが付いた。やはりグラフィックボードへの電流の有無だ。今回、別電源を入れることでグラフィックボードが稼働し始めた。すると、モニターのケーブルの差し込み口がグラフィックボードを経由しないと性能の高さを発揮できないはずだと思い付いた。しかし、モニターのケーブルはマザーボードの差し込み口に取り付けてあった。ケーブルの差し込み口付近を調べてみるとグラフィックボードから笈体の外部に向かってゴム製のカバーが取り付けられているのが見えた。もしやと思い、カバーを外しに掛かると、カバーが多少硬めに掛かっていて力加減が必要だったが、何とか外してみるとモニターケーブルの差し込み口が現れた。そこでケーブルを差し込んでみると案の定、モニターが映った。筐体の蓋を取り付け、ケーブルを元に戻し、パソコンを起動してグラフィックにどれだけ効果が表れているかソウスケに試させた。ソウスケがいつも動かしているマインクラフトというゲームを始めてみるとすぐにグラフィックの効果が上がっているのが分かった。ゲームの中の水面部分がより実物の映像のようにさざ波だっていた。前にソウスケが聞いてきたレイトレーシングの効果なのだろう。今回、ソウスケが高いお金を払ってマシンの性能を高めたが、効果がはっきりと確認できた。ソウスケも違いが分かったようだった。親子でハードウェアの性能の違いをはっきり学ぶことができた経験だった。
ソウスケはグラフィックボードを稼働させ、いよいよ3D編集をスタートする準備がととのった。ソウスケが部活動で使用しているソフトを調べてみると、オープンソースと呼ばれるインターネット上にコードを公開し、無料でダウンロードできるものだと分かった。インターネット上にはYouTubeで基本の操作法が公開されていた。タカシはソウスケに声をかけ、3D編集のソフトウェアのダウンロードをし、基本操作を試してみるように声をかけた。それを聞いてソウスケは自分でもできそうだと思ったようで早速、ダウンロードを済ませて操作の初歩を覚え始めた。モニターを無心に見ながら作業を続けるソウスケの背中を見ながら、ハードウェアにのめり込む息子の姿をタカシはほほえましく思った。
「インターネット」—1969年、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA)がソ連からの攻撃にも耐えうるコミュニケーションネットワークを開発した。これがインターネットの起源であるARPANETだ。アメリカ国防総省と接触のあった四つの大学(カルフォルニア大学ロサンゼルス校、カルフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学、スタンフォード研究所)をネットワーク管理用ミニコンピュータという機器(現在、「ルーター」とよばれるもの)を用いて接続する。通信形態は、「ピアツーピア接続」と呼ばれる、ネットワーク上に分散されているパソコン同士が対等な関係でつながるものだった。また、通信方法は特殊なタイプの蓄積交換方式が用いられた。まず、メッセージを「パケット」と呼ぶ同一サイズの小さい単位に分割をする。次に宛先を示すアドレスヘッダーを付けて送る。送られたデータは、「ノード」と呼ばれる接続先のパソコンに送られ、さらに次の接続先へとリレーされる形で宛先まで送られる。接続先のパソコンの経路はその時点で一番使いやすい経路を利用する。データが多過ぎて混雑している経路があった場合、一部パケットが別の経路に変更される。パケットがすべて宛先のパソコンに届くと、ヘッダーに書かれた指示に基づいて再構成させる。当初は、このピアツーピア接続が普及し、オンラインコミュニティーの形成が進むと見えたが、実際は入場制限のあるコミュニティーで、軍や研究施設の関係者以外にはあまり開かれていなかった。その後、1978年、シカゴ大学の学生二人がデジタルデータを音声信号に変換して電話に流す「モデム」を開発し、アメリカ国防総省のサーバーを使って無料で通信を始める。さらに、1979年デューク大学とノースカロライナ大学の学生三人が通常の電話線でコンピュータ同士をつなぐUNIX改良版を開発する。こうしてパケット交換方式は飛躍的に発展し、世界中のコンピュータが電話線でつながる。1982年、それまでネットワークごとに異なる手順で通信が行われていたが、どのコンピュータでも同じ手順で通信できる仕組み「インターネットプロトコル(IP)」が生まれる。さらに正しい順序でパケットをまとめ、パケットに欠落がないことを確認して、失われた情報があったら再送を要求する伝送制御プロトコルが設計された。このふたつは、現在、「TCP/IP」と呼ばれている。その後、デジタル世界は急速に発展し、1989年、ティム・バーナーズ=リーとロバート・カイリューは、ワールド・ワイド・ウェブを構築した。当初は、テキストページだけを表示するものであった。その後、画像とテキストとが混在するページを表示できる「モザイク」が生まれる。さらに、マイクロソフトが開発したインターネットエクスプローラー等のウェブページを表示する「ブラウザ」が、ウィンドウズ95を契機に爆発的に広がり、クローム、インターネットエクスプローラーの後継のビング、アップル社のサファリ、ヤフーなどが競合し、ユーザーの獲得を目指し、しのぎを削る市場を形成している。また、1999年には、インターブランド社がWi―Fiを開発し、インターネットへのワイヤレス接続ができるようになった。インターネットへの接続は、スマートフォンやスマートウォッチなどのデジタルデバイスと呼ばれる機器にまで広がり、隆盛を極め、探したいものを検索エンジンに入力すると探しているもののページが表示される。回線を利用するにはインターネットプロバイダーというインターネット接続業者と契約することによって使用できる。当初は、インターネットへの接続の依頼を毎回、する必要があったが、その後、簡略化され、ウェブブラウザのアイコンを押せば、インターネットに接続されるようになった。すぐにつながり、簡単に情報が手に入るため、人々がインターネットに依存することが爆発的に増えた。人々はインターネットを介して情報を効率よく手に入れ、生活に役立つように使った。中には「タイムパフォーマンス(略してタイパ)」という一定時間内にどれだけ効率よく作業ができるかを表現する言葉まで生まれた。そんな便利さの中で巨万の富を築く巨大IT企業が現れる。「ページランク」という技術で検索機能に革命を起こしたグーグル、ハードウェアとソフトウェアの一体化モデルを創業当時から続け、身の回りの道具をデジタルデバイスに変え、インターネットにすぐにアクセスできる生活様式を目指すデジタルハブ構想で「アイパッド」、「アップルウォッチ」、「アップルグラス」などの製品をヒットさせ続けるアップル、「ソーシャルネットワーク」という人々のコミュニティーを繋げるフェイスブック、ネットショッピングでインターネットから注文を受け付け、即時商品を届けるアマゾン、ウィンドウズのヒットでオペレーティングシステムと呼ばれる「起動」「シャットダウン」「ファイルを開く」などを行うパソコンの制御ソフト「オペレーティングソフト(略してOS)」の世界シェア70%を占めているマイクロソフトである。これら巨大IT企業に富が集まる仕組みは「クライアントサーバー方式」という通信形態にあった。この問題を説明するためにワールド・ワイド・ウェブ(略してウェブ)の仕組みを説明する。インターネットはウェブページから構成されている。まず、ウェブページを表示するためには、ウェブサーバーというコンピュータを一台用意し、ウェブページをHTMLというファイルの形式にして置いておく。次に、ユーザーがウェブブラウザを使ってウェブサーバーにHTMLのファイルを要求する「リクエスト」を行う。最後にウェブサーバーがその要求を受け取って応答される「レスポンス」をするとページを閲覧することができる。ウェブサーバーは個人で所有することもできる。ただ、設置の条件として、ウェブブラウザからウェブページの閲覧を要求されたらいつでも表示できるように常にウェブサーバーを稼働しておかなければならない。例えが適切ではないかもしれないが、冷蔵庫から飲み物を取り出す時にそれまで稼働しておかないと冷えていないようなものだ。ウェブサーバーを所有すると電気代が膨らみ、また、発熱による温度上昇を抑えるためにエアコン設備などさらに費用が加算され、抱える負担が大きい。そこで、ホームページを置く場合、ウェブサーバーを用意する代わりにレンタルサーバーを利用する。一方、巨大IT企業は、自社でサーバーを用意し、自社のホームページから無料でウェブページ検索ができるサービスを提供している。この検索サービスは大変、便利なもので、探し物や調べ物を入力すれば、すぐにお目当てのページを表示してくれる。多くの人が利用し、享受しているサービスだが、巨大IT企業にも旨みのある仕組みができている。巨大IT企業は検索サービスに入力した情報からユーザーの関心事を把握し、それに関連付けた広告をウェブページに掲載している。このため、巨大IT企業はユーザー好みの広告を打つことができ、費用対効果の高さを売りに広告業者を集め、ネット広告費で安定した収益を得ている。これらウェブページのリクエストを受け、ウェブページをレスポンスして閲覧できるようにするこのネットワークの形態を「クライアントサーバー方式」と呼んでいる。巨大IT企業があまりに肥大化してきたため、各国で規制が行われ、寡占となった市場で競争原理が働くようにする動きが出てきた。そんな中で注目されたのが、ピアツーピア接続だった。コンピュータが他のすべてのコンピュータに対してクライアントとしてもサーバーとしても振る舞うことができるネットワークだからだ。タカシは独学でピアツーピア接続を調べ、ネットワークを設計し、運用を始めていた。今では、ウェブページに埋め込む動画を取引できるネットワークとして知られた存在だった。参加者が出品・販売している動画を専用のアプリケーションで検索し、お気に入りが見付かれば購入の手続きをすることができる。知り合いの知り合いを数珠つなぎに辿り、六人隔てるとつながる可能性があるという「六次の隔たり」の考えを根拠に、ファイル検索を近くでつながるパソコンに依頼し、そのパソコンがさらに近くのパソコンに依頼をする。これを繰り返し、いつかはネットワーク上のすべてのパソコンに検索を行うことができるようにした。また、ネットワーク内の一部のパソコンに検索依頼が集中しないように次のようなルールが設計されていた。まず、すでに検索時に経由したパソコンには検索をしない。次に、いくつかのパソコンを経由したら検索を終了する。経由先に落ちや重なりがないようにIDが割り振られ、それぞれのパソコンはそのIDの情報から同じ検索依頼が何度も同じ経路をたどらずに転送できるようにした。すでに経由したIDに検索依頼が到達したら、経由依頼がループしていると解釈し、検索依頼の送信を打ち切る。また、検索依頼の中にカウンタを設け、パソコンを経由するたびに減少させて管理した。検索の途中で目的のファイルを見付けたら、検索で通ったルートを遡って検索の依頼元に検索結果を戻す。検索ルートを遡る際にも、各検索依頼にIDの情報を添付して各パソコンが検索依頼をどちらに送信したかを記憶しておけば、それを基に遡ることができた。ファイルが自由に動かせるネットワークにしたのに加え、さらにひと工夫した。ファイルの出来によって見合った対価を手に入れられる仕組みを加えた。価値付けを報酬にした。その仕組みが仮想通貨とそれを支えるブロックチェーンである。
「ブロックチェーン」—2009年1月3日ビットコインと呼ばれる仮想通貨の運用が始まった。生みの親はサトシ・ナカモトと名乗る正体不明のプログラマーである。取引はピアツーピア接続のネットワーク上で行われた。ピアツーピア接続の場合、管理者がいない。そのため、潜在的に不正の発生が生じやすい。そのネットワークに決済のような高度な信頼性を担保するため、次のような仕組みを作り上げた。まず、取引の記録はネットワークに参加する全てのコンピュータに共有できるようにし、一連の取引記録を一つの台帳にするのではなく、すべてのコンピュータに持たせる分散型にした。不正を監視する一つ目の障壁だ。次に、取引記録の改ざんを防ぐため、分散台帳にブロックチェーンと呼ばれる管理の仕組みを作り、さらに取引記録の正当性について合意形成を図る仕掛けとしてプルーフオブワークという参加者型共同作業を設計した。高度な信頼性を担保する、「プロトコル」という特別な手順を作った。まず、台帳をタイムリミットで区切るブロックにし、ブロックの記録を容易に改ざんできないように直前のブロックと関連付ける仕組みを作った。仕組みに使用したのが、「ハッシュ関数」と呼ばれる数式である。この「ハッシュ関数」とは、ある文字列もしくは数値をその数式に入力すると64桁の文字列の「ハッシュ値」を出力する。ブロックチェーンでは、次の3つの情報を入力する。「取引記録」と「直前のブロックのハッシュ値」と「任意の数値」である。このため、取引記録を改ざんするためには、直前のブロックのハッシュ値も入手しなければならない。また、取引記録は、承認をすることで確定になる。さらに承認するためにプルーフオブワークという仕掛けがある。まず、承認作業は、マイナーと呼ばれるネットワークの参加者が行う。マイナーはハッシュ値を出力するのに従事し、ハッシュ値をある決まった条件の数値を出力するまで繰り返す。この活動を「マイニング」と呼ぶ。運よく条件に合った数値を出力し、しかも一番だった参加者は報酬としてビットコインを手に入れることができる。そしてマイニングに成功した取引記録は承認され、ブロックチェーンに記録される。マイニングにおいてマイナーは自分のコンピュータの演算機能を提供し、それと引き換えに報酬を受け取れる可能性が得られる。この仕組みをプルーフオブワークと呼ぶ。これらのプロトコルでブロックチェーンは連綿と伸びていく。ただし、一部例外が発生することがある。二台のコンピュータが同じブロックのマイニングをし、どちらも、もう一方が解いたという通知をまだ受け取っていないために、自分が最初に解いたと思い込んでしまうことが起こることがある。ネットワーク上で遠く離れているそれぞれのコンピュータは、ブロックに異なる取引記録を承認してしまう。このような場合、ネットワーク上にはしばらくのあいだ二つの異なる台帳が有効に存在する。このような状態を「フォーク」という。だが、ここでもし、少数のマシンが偽のブロックチェーンを滑り込ませたとしても、正統なブロックチェーンはネットワーク全体に散らばる多人数のマイナーでマイニングするため、スピードが速い。一方は偽造されたブロックチェーンは偽造した個人またはグループだけでマイニングを行うため、スピードが遅い。自ずと正統な方のブロックチェーンが長くなる。ビットコインのソフトウェアは、最も長いブロックチェーンを真正なものとして選ぶ。そのため、大多数が解こうとしているブロックチェーンがつねに選ばれ、攻撃を仕掛ける少数のマシンが偽のブロックチェーンを滑り込ませようとしても無視させる。これらの仕組みによりブロックチェーンは高度な信頼性を担保している。タカシは、ビットコインをヒントに「クロック」という名の仮想通貨を誕生させ、ネットワーク内で使えるようにした。プルーフオブワークというプロトコルを採用し、「クロック」の価値をネットワークに参加する全ユーザーの手に委ねた。これまで運用開始以来、ブロックチェーンは改ざんされずに続いていた。タカシがソウスケに様々なプログラムを準備していたのは、ネットワークと「クロック」の共同運営者として育てたいという意図が強く働いていた。タカシがソウスケに取り組ませていたハードウェア学習プログラムも次のステップに移る時期を迎えていた。タカシが次に考えていたものがあった。それはゲームだ。
「プラットフォームはオープンにするべきか、クローズにするべきか」—1983年、任天堂から家庭用ゲーム機器「ファミリーコンピュータ(NES)」が販売された。ゲーム機器本体は、ゲームカートリッジを差し換えできるプラットフォームだったが、任天堂によって厳格に管理された閉鎖的なものになった。NESよりも以前に、家庭用ゲーム機器がアメリカのアタリ社から販売されたが、オープンなプラットフォームだったため、ソフトメーカーの数や流通しているソフトのタイトル数すら把握できず、粗悪品が出回ったためゲーム業界は下火になってしまっていた。その反省から生まれたのが任天堂のロイヤルティビジネスモデルである。タカシが子供だった頃は、ファミリーコンピュータのブームの真っ只中で、子供たちはゲームに夢中になった。デパートのおもちゃ売り場ではデモ用のゲーム機を囲む子供たちであふれ、ゲーム機を所有する家の子の部屋に集まることも度々あった。任天堂が舵を取ったクローズなプラットフォームは純粋にゲームを消費して楽しむことには貢献したが、ゲームを開発できる環境ではなかった。例外として本体にキーボードをつなげてプログラミング言語BASICを楽しめる「ファミリーベーシック」という製品があった。タカシは新規なゲーム機器だと年上の子の背中越しで操作するのを見たことがあったが、自分で使えるようになろうという気持ちにはならなかった。ゲームの開発が身近にできる環境があったら良かったのにと恨み節をしたい気持ちがあったが、ゲーム開発ソフトはライセンス料だけでも当時、年間数百万円から数千万円したというから高嶺の花だったことは間違いにない。しかし、タカシが大人になるとコンピュータも高性能になり、しかも安価で手に入るようになる。さらに、Unityがゲームエンジンという3Dの計算や影の表示、サウンド、メニュー遷移など、ゲーム作りによく使う機能を一つにまとめて使いやすくしたものを無料で提供するようになり、誰でもゲーム作りができるようになった。さらに作成したゲームをボタン一つで、携帯やゲーム機のプラットフォームに合わせた形でゲームデータを作成することができた。タカシはゲーム作りから縁遠かった時間を取り戻すかのようにゲーム作りに夢中になった。タカシが作ったゲームの一つ「エンダークロック」は、ソウスケの次のステップとして用意したものだった。ルールはシンプルで正統なブロックチェーンをつなげていく。ブロックチェーンの乗っ取りを仕掛けてくるデジタルハッカーとマイニングを競うものだった。プレイヤーはいくつかある取引記録から一つを選び、マイニングを始める。スタートしてしばらくすると、デジタルハッカーが現れ、マイニング対決になる。自分のマシンの性能が試される、まさにハードウェアとソフトウェアの両方を学ぶことができた。
「マイニング」—三種類の方法がある。まず、ソロマイニングで、自身のマシンでのみ行うマイニングである。次に、マイニングプールで、複数の参加者が所有するマシンで力を合わせる仕組みである。ただし、マイニング成功したとしてもマイニングプールの報酬は総取りすることはできないようになっている。最後に、クラウドマイニングで、自身のマシンではなく、クラウド上のマシンにマイニング作業を行わせるもので代行業者にお任せする仕組みである。かつては個人用パソコンでも十分、マイニングを行うことができたが、やがて競争が過熱化し、大掛かりの専用集積回路を搭載したマシンも登場したため、ソロマイニングでは成り立たなくなった。そこで今では、マイニングプールが主流となっていた。マイニングソフトを起動させ、マイニングを開始すると延々とマイニングプールでマイニングを続ける。1日稼働させるといくらの稼ぎになるのかが表示され、操作は簡単になったが味気ないものに変わってしまった。だが、父タカシが作った「エンダークロック」は、ソロマイングのみ行うゲームとなっていた。プレイヤーは自分のマシンの性能と向き合い、いかにマイニングを成功させるかを試されることになる。いつものごとく、家で父から促され、ソウスケは「エンダークロック」を始めた。起動している間に、「readme」というファイルを開き、ストーリーを読んだ。(2045年、AIが人類の知能を超え、労働の大半が機械に移行され、一部の富裕層は完全デジタル化された生活を満喫していた。一方で、多くがAIでは処理できない仕事を奪い合うようにし、安い賃金を頼りに働いていた。人々は心を許す仲間と深く繋がり、そうでない者には警戒をし、心を開こうとしない。Web3・0と呼ばれるブロックチェーン技術が基盤のピアツーピア接続のネットワークで人々は信頼のできる相手とコミュニティーを形成して暮らすのだった。ネットワークは無数に存在し、一つのネットワークで安住する者もいれば、様々なネットワークに顔を出し上手くやっていくものが一部にはいた。そんな分断されたネットワーク社会を快く思わないハッカー集団「デジタルハッカー」が手当たり次第、ネットワーク荒らしを開始する。狙われたのはネットワークが発行する仮想通貨だった。取引記録に偽の取引記録を差し込み、偽の取引記録をブロックチェーンに繋げ続ける地道な作戦だった。ネットワーク内の演算能力の51%を支配できれば仮想通貨の乗っ取り可能となる「51%アタック」が開始された。次々と陥落するネットワーク。やがて仮想通貨「クロック」を発行するネットワークにも「デジタルハッカー」の毒牙が襲い掛かる。「クロック」陥落が迫る「エンダー(終わらせる)」の戦いは火蓋を切って落とされた。)。操作ガイドでマイニングの仕方を確認し、ソウスケの人生最初のマイニングが始まった。手当たり次第に選んだ取引記録を承認するため、ハッシュ関数に「取引記録」を含む3つの情報を入力し、条件とされるハッシュ値を出力するまで繰り返す。意外にも、ゲーム上ではソウスケのマシンはハッシュレートといって1秒間に演算する回数が高いことが分かってきた。「デジタルハッカー」が計算するよりもすぐに出力されていた。実は、ソウスケは、グラフィックボードの並列処理をする演算機能がマイニングに有効であることを最近、ネット記事で調べて知っていた。さらに自分のグラフィックボードのハッシュレートを調べていたが、不思議なことに「エンダークロック」上では参考値の倍の数値を示していた。デモ機ではないかと思うぐらいソウスケはマイニングで勝ち続け、快勝だった。だが、やがて「デジタルハッカー」が一人増え、徒党を組んでマイニング競争を始めると事態は簡単ではなくなった。求められるハッシュ値の難易度が上がり、目当ての数値を出力できなくなったのだった。マイニングでマシンを稼働させる時間が平気で一日掛かりになる程だった。ソウスケが部活の内職で進めたい3Dデータの編集でグラフィックボードを使いたい時と重なるようになり、どちらか作業を選ばないといけなくなった。そこでソウスケはマイニング用にもう一台マシンを用意できればどちらも進められると父タカシに話してみた。父はソウスケの話を聞き、もし、マイニング用のマシンを用意したければ、パーツの組み合わせを計画書にまとめて提案するなら検討すると返答してきた。
前回、自作パソコンを父と作った時には、仕上げた後の使い道を考え、ハードウェアを父が目利きして揃えたが、今回はマイニング専用機とあって、ハッシュレートを左右するグラフィックボードを良いものに揃え、その他の装置はマイニング専用のパーツを選べばよかった。ただ、ソウスケにも単に専用機を作るのではなく、機器がコンパクトにまとめられて見栄え良く、さらにマイニング効率の高い、またファンの音が静かな自慢の作品に仕上げたいと思った。そこでネット記事で調べ、YouTube動画なども参考に必要なものを次のようにまとめた。まずは、グラフィックボード。今だと6ギガ以上の製品が推奨されていた。次に、マザーボード。こちらは予算を削れる対象でマイニング専用のものがお値打ち価格であった。そして、CPU。今回はこちらも予算を削れる対象だった。マザーボードと互換性さえ気を付ければ良かった。電源装置は今後、グラフィックボードを増設した時に、電力を供給できるように1000W以上で電力効率が高いものにした。記憶装置のSSDは120ギガバイト以上のもの、メモリは4ギガを確保できるようにした。その他、グラフィックボードを増設できるようにライザーカードと呼ばれる外付けのパーツ、数百円ほどで売り出されていたスイッチを繋げることにした。OSはWindows10を用意した。最後に、モニターとして小型のものにした。グラフィックボードからケーブルをつなげるため、HDMIケーブルを使用できるものにした。揃えるパーツは自作パソコンとほぼ同じだった。マイニングの状況によってはグラフィックボードの増設が必要なのでパソコンケースではなく、マイニングラックと呼ばれる骨組みだけのハードディスクがむき出しになるケースに取り付けるようにした。
ソウスケは購入先と価格を盛り込み計画書にまとめ、父に提出した。一番値が張るグラフィックボードはソウスケが以前、購入した物と同じにした。ソウスケにとっては馴染のものだった。総額十万を超えるほどだった。今回は親の資金に頼ることになるため、断られたら諦めるしかなかった。しかし、父は、計画書に目を通した後、いくつか質問があり、ソウスケがそれに答えると資金提供と技術協力を引き受けてくれた。父からの質問は設計図と稼働時間、一日あたりいくら利益が出れば収入になるか、設置場所をどこにするかだった。数日後、パーツがまとめて届いた。グラフィックボード代は、どうやらソウスケが現金で渡したお金が当てられたことが後から父の話で分かった。自作パソコンの時には父が同席したが、今回、計画書の段階で組み立て方を説明しているウェブページを知っていたので、ソウスケは一人で組み立てることにした。マザーボードを梱包用の箱から取り出し、マイニングラックの上に置き、電源装置と並ぶように配置してみた。マザーボードをラックの金属板に直接載せるとショートするという注意記事があったので、絶縁六角ポストと呼ばれる絶縁体でできたネジ穴を間に取り付け、マイニングラックにあるネジ穴に固定した。合わせて電源装置も取り付けた。次に、マザーボードにCPUを取り付け、CPUの上から冷却グリスを塗ってCPUファンを取り付けた。その後、グラフィックボードが取り付けられるように、支柱を取り付け、梁の部分で固定できるようにした。さらにSSDを固定させ、メモリを差し込み、スイッチを付け、24インチの液晶モニターを取り付けた。さらに、起動、終了を行うスイッチを取り付け、OSウィンドウズ10をインストールした。ほどなく、マイニング専用機は完成した。さらにインターネットから「エンダークロック」をダウンロードし、準備はできた。この頃には、ソウスケもハードウェアには慣れ、おおまかな手順はウェブページを参考に見ながら組み立て、ケーブルの取り回しは結束バンドでラックに付け、どうにか組立てを終えた。作業は地道に時間がかかり、あっという間に半日が過ぎ、日が暮れ始めていた。これで「エンダークロック」のための、マイニング専用機を用意することができた。ここでクロックネットワークの住人であるハンドルネーム「ウルサモ」について紹介していく。
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「CUIとGUI」—モニター越しで操作者はコンピュータと対話をしている。人間とコンピュータとをつなぐことを「インターフェース」という。最初は、文字や数字、記号での対話のやり取りだった。これを「Ⅽharacter Interface(キャラクターインターフェース)略してCUI」と呼ぶ。今でも大学機関で使われていることが多いUNIXパソコンやMS―DOSというアプリケーションを開くと表示される背景が真っ黒で白色の文字が浮かび上がる画面である。その後、ダグラス・エンゲルバードという名のコンピュータの未来形を提唱する人物が、架空の買い物リストを表示し、彼が所属していたグループが開発した「マウス」を使い、リストの並び替えをドラッグアンドペーストで行うデモンストレーションを二千人の聴衆の前でした。表やボタンといった視覚情報をマウスによるクリックで選択決定する直感的操作だった。1968年当時の人々は驚愕し、おかげで将来の職場環境を具体的にイメージすることができた。その後、アラン・ケイという技術者がゼロックスのパロアルト研究センターで実用化に向けて開発を進めた。そこへ訪れたスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツが目を止め、先を競って開発したのが「Graphical Interface(グラフィカルインターフェース)略してGUI」である。その後の「マッキントッシュ」のデジタルパブリッシングや「ウィンドウズ95」の成功に繋がっていく。ウルサモが創作活動の発表の場に選んだのがホームページだった。作品自体が小説だったので、文字中心の表示になるのだが、視覚的に目を引くアクセサリーを取り付けたかった。アクセサリーの内容は、普遍の世界を表すシンボルにしたかった。当初から思い描くイメージはあった。ウルサモは仕事の関係から出勤時間は始発を利用していた。夜の時間が長くなる季節だと外は真っ暗で寒さも加わる。出勤する気も挫けそうになるのだが、空を見上げると気持ちが一変した。街灯の明かりがあっても星がはっきり見え、オリオン座や北斗七星といった星座を確認できた。毎朝のささやかな楽しみが夜空を見上げることだった。朝のほぼ同じ時間帯に星を見上げていると星座の位置が変わるのが分かった。中学校の理科で学んでいたが机上で学んでいたことを現実で目の当たりするのは新鮮な驚きだった。同じ時間帯に星空が変化していくため、季節によって見える星座が違ってくる。ウルサモは季節ごとに見える星座を一枚のイラストで説明したものを探し求めて本屋で星の絵本を買った。そこには太陽を中心に地球が地軸を23.4度傾けて公転し、季節ごとの地球の位置と、そこから見える代表的な星座が描かれていた。このイメージを動画にしてホームページに貼りたかった。ウルサモはインターネットを使って検索ワードを考え、調べ始めた。最初は見当違いなものばかりがヒットしたが、イメージに近いものが表示された時はそのページに掲載されている情報を検索ワードに入力し、何度か繰り返していくとイメージに近い動画を見付けることができた。太陽の周りを地球が公転する動画だった。地球をロックオンすると追跡することができた。一体、どうやって作っているのか分からなかったが、「アプレット」と呼ばれる種類のデータだった。調べてみると、アプレットは、プログラミング言語JavaのSWINGというアプリケーションで作られていると分かった。ウルサモはJavaのプログラミングを書けなかったので、独学で学習した。Pleiades(プレアデス)というソフトウェアをダウンロードし、開発環境を準備した。ある程度、学習を進めていくと、JavaはWebアプリケーションというWebのしくみを利用して動作するアプリケーションだと分かった。また、現在、JavaではSWINGというアプリケーションをサポートしていないことが分かった。設定変更でJavaのバージョンをサポートしていた時まで下げ、SWINGのコードを入力してみたが、上手く動作しなかった。アプレットを再現する試みは失敗に終わった。ただ、操作する中で、一からプログラムを入力するよりも、GUI専用のインターフェース画面があり、ウィンドウ上にボタンや画像を貼り付けて作業できるものがあることが分かった。動くか分からないプログラミングを覚えるより、GUIでイメージに近いものを作り上げる方が速いと判断した。ウルサモがイメージしていた円が回転する動きが再現できればできそうだった。そんな便利なソフトはないかと本屋で探していると、アフターエフェクトというアプリケーションを使えば、どうやら作れそうだと分かった。開発したメーカーはアドビというパロアルト研究センター出身の技術者集団が作った会社だった。PDFというデータを作成するアクロバットやフォトショップなどのアプリケーションを開発していた。ウルサモは見付けた本に紹介されている地球を公転する月の動きを試しに作ってみた。作りながら、画面上を異なる動きをするアニメーションの仕組みが分かって来た。異なる動きを表現するには、見た目では一つのウィンドウ上で行われているように見えるが、実はウィンドウごとに違った動きをするアニメーションを用意し、画像以外の領域は透明にする。それぞれ別の動きをする画像を重ね合わせると一枚のウィンドウで様々な動きをしているように見せることができる。地球を公転する月の動きを完成した後、ウルサモが作りたかったイメージ動画に取り掛かった。動画の仕組みが一度、分かると案外簡単に応用できるようになり、小一時間で仕上げることができた。ホームページに貼り付け、動作を確認してみると、思ったような動きができていた。当初、考えていたJavaのアプレットではなく、Javascriptと呼ばれるプログラミング言語のデータに仕上がっていた。イメージの画像を作りながら、これはちょっとして売れるのではとウルサモは思った。それからしばらくしてホームページに貼り付ける動画の販売ができるクロックネットワークを知り、商売をするため、ネットワークに移住することになった。初めてみると、簡単なものではないと分かった。人々が欲しいと思うような作品にするには、これまでなかったような独自性を作り出さなければならない。ウルサモはこのままでは商売にならないと思い、他に稼ぎになる仕事を探し始めた。
「コンピュータウィルス」—1983年南カリフォルニア大学の学生だったフレッド・コーエンが他のプログラムに上手く入り込めるプログラムを作った。相手を破壊しつつ、制御不能なまでに増殖しないようにしてあった。このプログラミング言語のC言語で書かれた二百行程のプログラムが記録に残る最初のコンピュータウィルスであった。コーエンはこのウィルスを制御できるようにした。他のコンピュータに入り込み、その利用者になり代わってコマンドを打ち込めるようにすることができた。これ以降、コンピュータウィルスはコンピュータ研究者、開発者、ハッカーによって作成され、進化していった。代わり種としてコンピュータ科学者ボブ・トーマスが作り出した「クリーパー」はネットワーク上のコンピュータを渡り歩き、「俺はクリーパーだ! できるものなら捕まえてみな!」というメッセージを出した。このウィルスの再来クリーパー2.0がウルサモのマイニングマシンに侵入したところを見付け、ウルサモはWi―Fi接続を切ってハードディスクに閉じ込めることに成功した。早速、ウィルスのソースコードを開くとJavaを使って作られているのが分かった。
「ゴーストワーク」—Webページを開く時、自動で実行されているように見えるが、その多くがオンデマンドのプラットフォームのアプリケーションインターフェース(API)という、呼び出せばあらかじめ収められているアプリケーションを利用できる仕組みがある。その裏側ではアプリケーションが上手く働くように調整する集団「ゴーストワーク」が存在していた。コンピュータの中央演算処理装置(CPU)は、与えられた命令しか実行できない。そこに人間の、調整を繰り返しながら、協同して解決策をあれこれ組み合わせ、直す力が加わり、CPUにはのぞめない仕事が実現している。オンデマンドワークのサイトを設計する人は、昼夜ともに人員を確保することを主眼に置いているためなのか、そこで働く人々には、他の時間的制約があるとは考えていない。しかし、内実、ワーカーには他にやらなければならない仕事がある。さらに、ワーカーは高速のブロードバンド接続と安定した電源を持っていることが前提にされていたが、旧式のコンピュータや不安定なインターネットアクセス、さらに共有のIPアドレスさえ使って仕事をしている場合がある。ウルサモはゴーストワークに登録し、そこでの仕事が彼の生活を支えていた。内容は、機械学習というAI処理に利用されるデータから値が空欄で欠損している箇所を見付け出し、行もしくは列を削除する作業だった。人の手が入るこの「前処理」と呼ばれる作業はAI処理に欠かせない。機械学習では、入力データと対応する答えの情報から答えを予測するための法則を導き出すもの(教師あり学習)と、入力データのみから、入力データ同士のもつ特性に関する法則や特性に関する法則や特徴を分析する(教師なし学習)とがある。入力されるデータは画像、文章、音声に分かれている。ウルサモは前処理したデータがどのように処理されるかを知るために、プログラミング言語であるPythonを独学し、機械学習にも通じるようになっていた。ただ、開発環境は決して最新式とはいえないパソコンを使用し、時々、Wi―Fiが途切れる環境だった。同業者の情報交換の場として用意されていたオンラインフォーラムでは、オンデマンドのアカウントを複数の人間で使用していることが判明し、ログインを停止された話や入金のタイミングでインターネット接続が途切れ、未払いが続いている話が報告されていた。ウルサモも我が身を振り返るといつ同じ目に合うか分からないため、たくさんの事例を収集しておくことで予期せぬトラブルを回避したいと考えていた。ウルサモは本当にしたい仕事とは何なのかを見失い、どう生きていけばよいか分からず、日々、悩まされていた。ある日、携帯に電話が掛かってきて受けると、東京の出版社の者ですが以前、応募された作品を書籍化しませんかと告げられたことがあった。話を聞いていると、担当の編集者が専属になって校正をし、一年半ほど掛けて書籍にするという話だった。作品を書籍化すれば、販路の本屋の棚に作品が並び、売り上げ次第では増刷もあるという誘いだった。だが、書籍化までの費用は百万円以上をし、自前で支払う契約だった。別に本にしなくても、作品発表は自分のホームページに掲載すれば済む話だった。また、時代が過ぎ、誰が見るとも分からぬ古本としていつまでも世の中に残り続けるのも嫌だった。インターネットは世界に向けて広がっており、アクセスできるデバイスは今後も増え続けている。ホームページを立ち上げれば、自らの意思で発表できるのだ。だが、ウルサモのホームページを訪れる人は極めて少なかった。アクセス数が一日、0か1のデジタルには馴染みのある数値を続けていた。そこは紙媒体のポテンシャルとの違いが出るところだった。ホームページのアクセスへと導く広告塔として、一冊を書籍化すれば、その一冊を起点に集客を増やせるのではという気持ちもあったが、百万というお金は出せなかった。ウルサモはお金で苦しんでいたため、お金が手に入る仕組みを作り上げることが急務だと思っていた。仕組みを作り上げる手段はおそらくコンピュータによってなされるだろうと考えていた。
「ウェアラブルデバイス」—コンピュータは、はじめは空調の効いた地下室に設置されていた。やがて家の机の上に置かれ、その後、手のひらに収まるようになった。さらに、ごく薄いシートに載って皮膚の上に載るまでになった。皮膚の上で医療や健康管理に活用する開発が進んでいる。アップルのスマートウォッチは心電図の表示や不規則な心拍の通知機能を搭載し、突然死につながる心室細動の兆候をいち早く検知できる設計になっている。また、半透明のメガネが現実の上に情報のレイヤーを付加できる技術が進んでいる。このメガネを通して見ると、場所や物の基本的な説明がテキストのレイヤーとして重なって見えるようになる。コンタクトレンズの上にデバイスを搭載する研究も進んでいる。デバイス同士がネットワークでつながり、連動を続けていく。ウルサモがパソコンで入力した情報が更新され、スマホで同じデータを開いた時に最新のものが閲覧できるようになっている。ユーザーにとっては便利な機能であるが、情報をつなぎ、更新した情報を閲覧しているのはサービスを提供している大手IT企業であることも忘れてはならない。個人の情報を民間企業に管理されている状況を打開する解決策として、サトシ・ナカモトがブロックチェーンという分散型のビットコイン台帳を作って最適解を示した。今やゲームチェンジャーになりつつあった。政府を含めた第三者機関の介入や監督を一切受けずに自分の資産管理ができる。情報の行き来に中央当局なしに合意形成が可能となるプルーフオブワークのビットコインのモデルはネットワークを変えることになった。ネットワークには他人同士が集まり、何らかの目的で交流がなされている。対面したことのない相手がどんな性格でどれほど信用のおける人間なのかは謎だ。お互いにどこのものとも分からない人同士が信用せずとも合意形成を図ることができるか。管理者がいないネットワークでは解決しなければならない課題だった。この課題は1982年にレスリー・パンポートらが「ビザンツ将軍問題」という架空モデルとして取り上げている。古代東ローマ帝国の首都であったビザンチウムは、広大な領地であった。そこで国境を守る複数の将軍が一致した決定を下すために、使者を送り情報を伝える必要があった。しかし、将軍の中には裏切る者がいる可能性があった。裏切り者は異なる将軍に異なる情報を送信して、コンセンサスを妨害することが予想される。ビザンチン問題とは、忠誠心のある将軍たちにどうやって行動に同意してもらうかである。これは、信頼できない潜在的に危ういネットワークにおいて、情報を交換することで構成員全体の合意形成を図ることに適用された。不特定多数のマイナーがビットコイン取引情報の承認のために、マイニングを行い、条件を満たす計算結果を出せば、取引が成立、承認される。さらにいち早く計算できたものには仮想通貨を与えられる。この仕組みであれば、信用のおける中央機関を必要としない合意形成を導き出すことができた。ビットコインの考案者のサトシ・ナカモトは2011年にユーザーがアップデートは改良できるようにオープンソフト・ソフトウェアを残して姿を消している。彼が残したオープンソフトは、やがてさらに改良され、イーサリアムなどの新たな仮想通貨を生み出すことになる。さまざまなブロックチェーンが生まれ、暗号通貨も百花繚乱の時代を迎えた。実は以前にも、電子マネー「デジキャッシュ」によるビジネスが存在していた。第三者を仲介しない当事者同士の電子通貨のやり取りが行われていたが、その後、電子通貨の所有者は合衆国法務省から「マネーロンダリングに関わる陰謀」として起訴された。新たなテクノロジーが社会に受容されるまでは往々にして大きな組織に邪魔をされる。大手通信会社が反対に回ったり、官庁の官僚たちが出てくる。1998年、デジキャッシュ社は倒産している。もし、サトシ・ナカモトが最初に成功した仮想通貨の発明者として表舞台に居続けたならば、何らかの理由を付けられ起訴されていたかもしれない。電子決済において地球上のクレジット払いのほとんどをコントロールしているのが2つのクレジット会社で、ともに合衆国に基盤を置いている。仮想通貨の決済は彼らのあずかり知らぬところで行われている。ウルサモは自分の情報を自分で管理できるウェブ環境こそが理想だと考えていた。
「Web3.0時代」—Web3.0は大手IT企業に集まっていた情報を個人へ分散し、自身の情報を自分で管理する時代を指している。3.0があれば当然、Web1.0、Web2.0の時代があった。Web1.0はインターネットが民間利用され始めた1990年代で、個人がホームページを立ち上げることができるようになり、テキスト中心の情報発信がされていた。Web2.0はSNSなどの情報発信を含め、テキストだけでなく、動画による発信が盛んに行われている。GAFAMの大手IT企業が個人の使えるインターネット検索サービスを提供すると引き換えに個人の情報を収集し、ダイレクト広告を発信することができるようになった。そして広告料で収益を稼ぎ、巨大化する弊害が生まれた。その弊害を改善しようと、ブロックチェーン技術により情報の分散化が現在、行われている。自動車産業がEV化へと大きく舵を切る変革の時期に新規参入の事業者が現れるように、Web3.0に向かっている今が商機のタイミングだとウルサモは考えていた。クリーパー2.0がネットワークの中をはい回り、感染させた利用者のコンピュータにアクセスできるようにし、その利用者になり代わってコマンドを打ち込むようにすれば、「51%アタック」が実現できる。ネットワークの乗っ取りである。さらにAI機能を搭載させ、マイニングを行った履歴からネットワークの中でマイニングをしているコンピュータを特定できるようにした。ウルサモはすでにクリーパー2.0を改良し、ネットワーク乗っ取りができる段階に近づいていた。あとは動作を把握するだけだった。そこでクリーパー2.0を閉じ込めているマイニングマシンとクロックネットワークへとアクセスできるノートパソコンとを、インターネットから完全に切り離した状態でローカルなネットワークを組みクリーパ2.0を走らせてみる必要があった。
「われわれの制御を超えたコンピュータ・ウィルス」—生物学的なウィルスの例でいえば、人類は比較的毒性の少ない牛痘を危険な天然痘ウィルスの免疫に使うことを学んだ。同様に、コンピュータ・ウィルスも他の方法では手間がかかり、管理できない仕事をする手段として使えるだろうと考える開発者がいた。例えば、コンピュータ・ウィルスを他のコンピュータ・ウィルスと戦わせるために使うことが考えられる。外から悪性のウィルスが現れてその活動の引き金を引くまで、OSの中で免疫システムのように休眠状態になっている。また、コンピュータ・ウィルスが自律的に通信する性質を利用して疲れを知らない情報労働者にする研究がなされている。だが、コンピュータ・ウィルス自体が破壊的になりうるかもしれないことも否定できない。コンピュータ・ウィルスがみずからの適合のやり方に則って進化する、つまり、自分の欲求から動くことにつながることが、その欲求が創造者のものと一致するとは限らない。さらに、突然変異によって変化し、開発者の言っていることに何で従わなくてはならないのか、という疑問を持つようになる危険もある。ウルサモはクリーパー2.0が制御下で正しく動作することを確認した。感染元のデータを消去してから感染先に移動する動作が認められ、今は、再び、マイニングマシンの中にクリーパー2.0を閉じ込められていた。インターネットにつなげば、クリーパー2.0を放つことができる準備はできていた。ただ、ウルサモには良心の呵責があった。Web3.0はネットワークの利用者を危険にさらすために誕生したのではなかった。巨大IT企業から富や情報を開放するためのものであるはずだ。クリーパー2.0の改良前には考えもしなかったが、仮想通貨の分散台帳を改ざんできたとしても、それにより仮想通貨の信頼は低下するだけだ。一体、誰が得をするのか。ウルサモは恐ろしい情報怪物を作り出してしまったことに気付いた。絶対に、ネットワークに放ってはならない。もし、自分の意思に反して、クリーパー2.0がネットワークに放たれることがあったとしたら、大変な混乱が起きる。対処法として上げるとすれば、かつてクリーパーに対抗し、追跡するリーパーというプログラムがあった。クリーパープログラムを読んで改良した自分こそが、新型リーパーを作り出す資格があるはずだ。ウルサモには、クリーパー2.0を改良した以上、対処すべきワクチンプログラムを作り出すことが責務だと感じた。
数日後、最悪の事態が起こった。ウルサモのマイニングマシンにあったクリーパー2.0のデータが入ったフォルダが空っぽになっていた。ローカルネットワークでウルサモのノートパソコンにクリーパー2.0が移動した時、自己複製を図り、検出されない領域で休眠状態に入っていた。ウルサモがノートパソコンをネットワークに繋いだ途端、目覚め、ネットワークに飛び出した。ウルサモの制御を離れ、クリーパー2.0がクロックネットワークに放たれてしまった。
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「オペレーティングシステム、ネットワークの力」—ソフトウェアを開いたり、閉じたり、読み込んだり、書き込んだりする基本操作は「システムコール」と呼ばれ、1971年のベル研究所で開発されたUNIXから始まる。オペレーティングシステムを完全に理解するにはソースコードを見なければならない。マイクロソフトがベル研究所からライセンスを受けて、オペレーティングシステム(以下、OS)を開発する。これが商用UNIXOSの始まりだった。それ以降もUNIXベースのOSの開発は続き、ウィンドウズ、MacOSと広まった。UNIXベースとは別に、OSを開発し、できあがったものを販売せずに、無料で公開させる取り組みがLinuxだ。開発したフィンランド出身のリーナス・トーバルズは自身が開発したOSのソースコードを無料で公開させるオープンソースと呼ばれる手法を選んだ。理由は、世界中のハッカーにソースコードをいじってもらえば、オープンなコラボレーションが進み、強力なソフトウェアになると考えたからだった。トーバルズの読みは的中し、自発的なコラボレーションが波のように押し寄せ、デジタル時代の共有製作のモデルとなった。Linuxは他のどんなOSよりも多くのハードウェアプラットフォームに移植され、スーパーコンピュータやスマートフォンに組み込まれた。彼の功績は非常に大きい。タカシはトーバルズが仕掛けた共有製作のモデルを知っており、クロックネットワークをオープンソースすることを安心してできた。ネットワーク内の善意の開発者がブロックチェーンの取引承認の遅延を解消してくれていた。クロックの価値も安定していた。このままいけば、まとまった額の開発資金を調達が可能になり、これまで無償で開発してくれていた技術者に見合った対価を渡すことができ、ネットワーク内で雇用が生み出すことができる。そんな展望を描けるまでになったことは一安心だった。ソウスケは「エンダークロック」でマイニングにも慣れ、クロックのマイニングに参加するまでに成長していた。
「Web3.0が解決できること」—フィッシング詐欺の手口で口座情報を盗み取ったり、お金を送金させる等、ネット犯罪が巧妙になっている。一か月の使用する電力量を知るために、アプリをダウンロードすると、その後、電力会社を装い、電気料金支払いを促すメールが届く。こちらがダウンロードしたアプリから連絡を受けると反射的に応えてしまう。そんな人の行動習性をねらった卑劣な犯罪だと思う。情報を取捨選択すれば防げるのだが、高齢者になればなるほど、簡単に防げるものではなくなる。事の発端はインターネットサービスを利用している時に、個人情報が盗み取られ、ターゲット広告が届くと同じ仕組みである。Web3.0になると、まず、これが解消されることになる。また、相手に送金する際に、金融機関を経由しないので手数料がとられなくなる。ソウスケは「エンダークロック」によってマイニングの仕組みを知り、実際のマイニングでは、何万台ものマシンを設置し、24時間フル稼働でマイニングすることを事業とする企業もあることからソロマイニングでは到底太刀打ちできないことが分かった。そこでマイニングプールと呼ばれる複数の参加者が所有するマシンで、互いに協力しながらグループでマイニングの成功を目指すやり方をとることになった。マイニングプールへの登録は父がしてくれた。未成年者では、仮想通貨の送金、入金する「ウォレット」の登録ができないことがあった。父はマイニングすることには不思議と寛容だった。マイニングプールでは同じグループのメンバーはたまたまそのタイミングで居合わせたようなもので面識もなければ交流もなかった。登録したマイニングプールでマイニングに成功すれば、それぞれのハッシュレートに応じてクロックが分けられる。チーム戦である以上、協力するのみだった。始めてしばらくすると、ソウスケはマイニングが物足りなくなり始めた。ソロマイニングの時は承認する取引を選ぶことができ、マイニングが成功すると報酬が丸ごと入ってきた。マイニングプールでは自動でサポートされており、承認までのやり取りが見えなかった。ソウスケはソロマイングをしたかった。マイニングを開始してからしばらくしていなかった「エンダークロック」を再び始めてみた。ゲームの中ではソウスケは無双で、マイニングのランク一位を続けていた。起動させてみると、アップロードされて新機能がいくつか設定されていることに気付いた。ソロマイニングゲートウェイと表示された見慣れないボダンが設置されていた。ボタンを押してみると、受給権限の項目にランキング一位ソウスケとなっていた。Goと表示されたボタンを押してみると、仮想通貨「クロック」の承認待ちの取引が表示された。これは「エンダークロック」のプレーヤーのまま、実際のマイニングに参加できることを意味していた。さらに、ミリオンタイムズポイントという表示がヘッダー部分に表れ、自分のマシンのハッシュレートを調べてみると、6桁0が末尾に付いていた。ミリオンタイムズ、つまり百万倍になっていた。これは、ソウスケのマシン一台がマイニングプールに匹敵するハッシュレートになっていることになる。ソロマイングができることを意味していた。試しに、表示された未承認の取引の一つを選び、マイニングを始めてみた。マイニングマシンから低い重低音が響いた。ソロマイニングができることによって、ソウスケのマイニング熱が一気に息を吹き返した。しばらくすると、あるマイニングプールがクロックを採掘したことを知らせる分散台帳の更新が行われた。ミリオンタイムズポイントを得ても、マイニングプール同士のハッシュレートで拮抗している。そこへ百万倍の力を得たソウスケのマシンが参戦しても採掘競争に負けてしまうらしい。ふと、ソウスケの頭に浮かんだ考えがあった。現在、ソウスケのマイニングマシンはグラフィックボード一台のハッシュレートしかない。もし、父と一緒に取り付けた自作パソコンのグラフィックを取り外し、マイニングマシンに持ってくるとすれば、グラフィックボードが二台になり、同じものなので単純にハッシュレートが倍になる。今より採掘が期待できそうだ。その後、いくつかの取引にマイニングを試みたがいずれも先に採掘されていた。採掘に勝つための戦略が必要になってきた。そこでソウスケはマイニングを中断し、マイニングマシンの電源を切った。その後、自作パソコンにつないでいるケーブルを取り外し、筐体のネジを外し、蓋を開けた。父と一緒に取り付けたグラフィックボードをマザーボードから取り外した。自作パソコンはグラフィックボードなしでも動かせるので、蓋を取り付け、ケーブルをつないで使えるようにした。取り出したグラフィックボードをマイニングマシンのライザーボードに繋ぎ、電源装置から未使用のケーブルをもってきて、取り付けたグラフィックボードにつなげた。これでグラフィックボードが二台、倍のハッシュレートにすることができた。マイニングマシンの電源をオンにし、起動させた。まずは、エンダークロックを立ち上げ、ソロマイニングゲートウェイを経由し、ミリオンタイムズポイントを獲得した。画面に表示されたクロックの未承認取引を選び、マイニングを開始した。画面の表示も最初のマイニングの時よりも素早くなっていた。今度は期待がもてそうだった。ついに、その時がきた。採掘成功を知らせるメッセージが表示された。取引は承認され、ソウスケのウォレットに6クロックが入金された。6クロックだと、現在のレートで5万円相当の額だった。高校生の小遣いにしては額が大きい。マイニングで一度、採掘に成功すると、止まらなくなるマイナーが多くいると聞くがその気持ちが十分に感じ取ることができた。その後、マイニングを試すと、5回中1回のペースで採掘に成功するようになった。父にマイニングで採掘したことを告げると一緒に喜んでくれたが、表情が浮かない様子だった。何か、あったのかと尋ねてみると、クロックネットワークにつないでいるパソコンにウィルスで感染されたマシンが相当数、報告されていると話していた。感染すると勝手にクロックのマイニングを始めると聞かされた。さらにネットワークにつながるパソコンのハッシュレートの51%を獲得されてしまうと、ウィルスに感染されたパソコンに乗っ取られてしまうことを危惧していた。エンダークロックが現実に起きてしまう。父は感染されたパソコンの利用者には通知を出し、一度、ネットワークから外れるように要請した。接続されたパソコンの台数を減らすのは、ネットワークの安全を脅かすものなのだが、コンピュータウィルスの侵入があった以上、仕方のないことだった。父はしばらくこれらの作業で手が離せないと話していた。そこで、父に頼れないため、ソウスケ自身がマイニングをし、少しでも感染されたパソコンにネットワークを乗っ取られないようにしようと考えた。もう一度、マイニングに戻るため、ソウスケはエンダークロックを開き、ソロマイニングゲートウェイを開いた。すると先ほどまでランキング一位でいたソウスケは二位になっていた。代わりにウルサモという名のプレイヤーがソロマイングゲートウェイを使って、クロックのマイニングを始めていた。こんな大事な時に何をするんだという怒りが沸き立ったが、すぐにマイニングに戻るための手順について考え始めた。たしか、受給権限があるのはエンタークロックのマイニングランキング一位になっているプレイヤーだけのはずだ。現時点でソウスケが二位になっているからマイニングに入れないでいる。ならば、一位に返り咲けばよいはずだ。そこで、エンダークロックのマイニングを始めた。グラフィックボードを二台取り付けたのでソウスケのマイニングマシンのハッシュレートは倍になっており、次々、採掘することができた。獲得ポイントは急上昇し、再び、ランキング一位に返り咲いた。早速、ソロマイニングゲートウェイのページを開いた。受給権限はソウスケに変わっていた。Goボタンがアクティブ状態になっていた。ボダンを押すとクロックの未承認取引が表示された。一度、マイニングをした時とは様子が違っていた。未承認取引が極端に少なくなっていた。試しに未承認取引を選択し、マイニングを開始した。しかし、明らかに動作が重く、マイニング中に上昇する数値の上がりが遅かった。次第に、画面がパッ、パッと点いたり消えたりするようになり、ソウスケのマイニングマシンが重低音の唸りを鳴らし始めた。画面には砂時計のマークがくるくる回転したままになった。そのうち、画面全体が薄い色合いになった。しばらくするとエンダークロックのプログラムがダウンした。その後、エンダークロックの起動を試してみたが、フリーズした状態が続いた。何度か試したが、変わらなかった。ソウスケは一気に疲労感が高まるのを感じた。そのため、打開するアイデアを絞り出す気力も生まれなかった。休息が必要だった。布団の上で横になると一気に睡魔が来て、ソウスケは眠りに入った。
どれだけの時間、眠りに付いたのだろうか。事態の深刻さを考えると今すぐに起きたかったが、全身、ぴくりとも動かせる状態ではなく、引き続き、休息が必要だった。再び眠気がやってきた。目が覚めるとマイニングマシンのモニターが点いていた。父が起動させたのだろうか。寝起きでぼんやりしたまま、父がソウスケに代わってマイニングする姿が浮かんだ。重い身体を起こし、マイニングマシンの前に移動し、モニターを覗き込んだ。画面いっぱいに文字が並んでいた。
俺はクリーパーだ! できるものなら捕まえてみな!
書かれた内容が理解できた瞬間、マイニングマシンまでもがクリーパー2.0に乗っ取られたと感じた。エンダークロック。ネットワークの崩壊だった。突然、訪れた受け入れがたい要求だった。誰がこんなひどいことをするのか。納得できない要求で素直に受け入れる気にならなかった。力が抜けて考えるのもやめたくなった。しかし、受け入れられない気持ちが折れそうになる心をどうにか支えることができた。いったい誰がこんなひどいことをするんだ。再び、ソウスケの頭に抗議したい気持ちが沸き起こった。身体から爆発した感情が沸き起こった。ぱっと目が開くとソウスケの部屋の天井が見えた。夢かぁ。いったいどれだけ時間が過ぎたのだろう。クロックネットワークは大丈夫なのか。マイニングマシンの前まで来て、スイッチをオンにした。ハードウェアが眠りから覚め、重低音を響かせた。モニターが点き、砂時計のマークがすぐに消えた。エンダークロックを起動させ、ソロマイニングゲートウェイのボタンを押した。受給権限はソウスケのままだった。Goのボタンを押した。クロックの取引画面が表示されていた。どこも異常が見られなかった。未承認取引を選ぶとマイニング開始の画面になった。先に、マイニングを始めているマイニングプールが複数いることを知らせる表示を確認した。元に戻っていた。ソウスケは、マイニングを中断し、父の書斎へと続く階段を上った。書斎机のノートパソコンの前に父が座って何やら作業をしていた。
「クロックネットワークはどうなった?」
とソウスケが声を掛けた。父は、振り返り、ソウスケが目を覚ましたことにホッとした表情を浮かべた。
「あの後、マイニングをしていたパソコンがネットワークから徐々に消滅し始め、再びネットワークに現れた時にはマイニングしているのは数台におさまった。」
と、父が返事をした。コンピュータ・ウィルスが何らかの原因で消滅する現象が起こったようだった。父はネットワークから切り離されたパソコンが再び戻ってきているのを確認していた。しばらくすると、元の活気が戻るはずだと教えてくれた。
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「アフリカ生まれのイノベーション」—アフリカでは、「M―PESA(エムぺサ)」と呼ばれる電子マネーシステムが普及している。2007年にボーダフォン傘下のサファリコムが始めたモバイルマネーサービスである。利用者は、銀行よりも低い手数料でお金の送金や支払いができるようになっている。また、ケニアでは、電子機器のリサイクル品からまだ使える集積回路を取り外し、3Dプリンターを組み立て、安い価格で販売している。これらアフリカで生まれたイノベーションは、デジタルテクノロジーを金融ヒエラルキーのトップに君臨する機関やシリコンバレーの巨大企業の既得権益とするのではなく、人々の生活改善につながっている。タカシはエンダークロックを経験し、人々の生活を豊かにするネットワークのあり方について新たな方向性を探ろうと考えていた。偉大な先人達が築き上げてきた叡智は、多くの人々のために使われるべきだと考えていた。アフリカ発のイノベーションがまさにヒントになるだろうと考えていた。Web3.0で自分の情報を自分で管理できるようになった今、構築したネットワークを使って人々の生活をよくすることに力を注ぎたいと思った。ソウスケには少しずつ、クロックネットワークの運営する仕事を教えるつもりだ。ネットワークの未来に向けて、やるべきことがたくさんあった。
(完)