「親父たちの青春」

証券トレーダーは薬指が長い人の方が向いているという新聞記事が目に留まった。

記事によると、母親の胎内にいる時に、男性ホルモンが多く作用すると、手足の成長を促す遺伝子に影響し、薬指が長くなる。

さらに、胎児の性格にも次のような影響を与える。

自信やリスク指向性、ねばり強さを増す働きだ。

ケンブリッジ大学の調査チームがロンドンの金融街シティーで短期取引を専門とする男性トレーダー44人を対象にある調査を行っている。

人さし指と薬指との長さの比率と、トレーダーの収益や経験年数などの関係を見ていくと、薬指が人さし指より長い(人さし 指が薬指の93%に相当)グループと短いグループ(同様に99%)とでは、収益の差は 1 人当たり約7800万円以上になっていた。

調査チームは、これらの結果から短期取引に必要な集中力や反応速度に影響しているとみている。

この記事を読んだ後、すぐに崇史は自分の指を確かめてみた。

中指を挟むため、直接、並べることはできないが指の付け根は同一線上にほぼ並んでいる。

指先に目を移すと、薬指の方がわずかに長かった。

5年前、崇史は「上町倶楽部」でイベントを企画し、実施を目指していた。

子供を元気にする活動だと崇史は確信し、賛同してくれるメンバーもいた。

一方で、従来のイベントから逸脱した活動形態だったため、メンバーの一部から反対の声が上がった。

話し合いは難航した末、あえなく没となった。

反対側に回った当時の会長が最終判断を下した。

判断した理由の説明はあったが、納得のいくものではなかった。

イベントを実施したければ有志でやれば良いという突き放した発言も見られた。

決して納得できるものではなく、崇史をはじめとする数名が、しばらく参加を見合わせた。

メンバー間の分断が生まれ、士気を落とすことになった。

その後、会長が代わり、離反していたメンバーが戻ってきたが、活気溢れていた頃と比べると会の勢いに陰りが見られた。

そのため、メンバー一同、危機感をもっていた。

活動に参加するメンバーは少なく、会員の募集のチラシを配布しても、様子見で顔を出す程度で定着するものはいなかった。

また、会では子供が卒業すると退会するきまりになっていた。

数年先は、これまで開催しているイベントも出来なくなり、会の運営が立ちいかなくなることが予想された。

そこで崇史は会で大きなイベントを開き、会員が団結すればできるんだという自信をもたせたいと思った。

会員がやってみたいと思える、何か相応しいイベントを探した結果、たどり着いたのがこども駅伝だった。

こども駅伝は長く一緒に活動してきた会員の東海林がやりたいと話していた。

なぜこども駅伝なのかというと以前、この地域で毎年、行われていたイベントだった。

東海林は長女をこども駅伝に参加させたことがあった。

崇史も長男を参加させたことがあり、こども駅伝が盛り上がるイベントだと知っていた。

ただ、こども駅伝は運営が大変だったため、消滅し、現在、代替のイベントが行われるようになっていた。

こども駅伝の盛り上がりを知っている2人は上町倶楽部で復活させたいと話題にすることが幾度かあった。

実施できる計画を立てずに放っておけば絵空事で終わる話だったが、東海林の会員資格が残りあと1年となった年度初めの会合で崇史はこども駅伝の実施計画を提案した。

提案では、コースは以前のこども駅伝のものを使用した。

上町倶楽部の会員が子供を通わせている小学校が5年前に新校舎に移り、現在に至っているが、かつて閉校した中学校があったその場所こそ、こども駅伝のスタート地点だった。

スタート地点を出発し、学校の敷地を出て近隣の上町公園まで行き、折り返してくる約800メートルをコースとしていた。

提案した時の会員の反応は上々だった。

「ほんと、神です。」

東海林からは最大級の感謝の言葉をもらった。

話し合いでは一言も発しない者もいたため、メンバーの一人である庄司が賛成する意思表示に挙手を求めると全員、手を挙げた。

まずは上出来のスタートだった。

崇史は今回の提案が没にならないように細心の注意を払った。

提案するひと月前、崇史は、警察から道路使用許可が本当に下りるのかを心配していた。

そこで崇史は、警察署に行き、交通課担当に提案用の資料を見せることにした。

交通課担当は過去に提出された申請書を調べてくれた。

その申請書によると2015年までは実施していたことが分かった。

さらに実績あるコースなので開催は可能だと話してくれた。

ただ、ランナーが公道を走るため、車や自転車の飛び出し、それに伴う接触事故に気を付けないといけないと教えてくれた。

コースに入る路地を数えると21人のスタッフが必要だった。

崇史は21という数を知った時、メンバーの数では到底及ばないと直ぐに感じ取り、この課題を最後まで抱えることになるだろうと思った。

実際、この数を埋めることは最後まで叶わないのだが、途方もない計画に舵を切り始めたと感じた。

今回、負荷のかかる提案に崇史が踏み切ったのは会の盛り上がりとは別にもうひとつ理由があった。

それは、崇史が東海林にある恩義を感じていたからだった。

ここでは詳しく話さないが、崇史が以前、提案し、没になった企画を最後まで応援してくれたのが東海林だった。

それ以来、崇史はいつか東海林に報いたいと思っていた。

そのため、今回の提案は私情が交っていた。

多少の無理が生じたとしても対処法を考え、推し進めるつもりだった。

崇史はこども駅伝開催までに次のような段取りで進めた。

まず、上町倶楽部の拠点としている小学校にお願いし、運動会の日にこども駅伝開催の告知とスタッフ募集を知らせるポスターを会場内に掲示する許可を得た。

ポスターにはボランティア募集をタイトルにし、QRコードで読み込めば応募フォームが表示され、そこからエントリーできるようにした。

こども駅伝については日時とコースの簡単な説明のみ伝えるものだった。

大半はランナーが公道を安全に走ることができるようにたくさんのスタッフが必要で人が足りていない窮状を訴えるものだった。

こども駅伝に参加する子供たちには心構えをもたせ、さらには開催に賛同してくれる保護者が少しでも増えるように予告をしておきたかった。

この後、募集チラシを二の矢、三の矢と配り、参加者とボランティアを確実に増やしていきたいと考えていた。

次に、再び学校にお願いをし、こども駅伝のチラシの配布と、参加予定の家庭向けにボランティアを募集するポスターを校内に掲示する許可を得た。

こども駅伝のチラシには、参加の仕方、走る距離、当日の時程を載せた。

また、4人1チームを組んで代表者が応募する方法と、個人で応募しチームは主催者側に一任するの2パターンを用意し、QRコードに端末をかざせば、応募フォームにつながるように設定した。

ポスターは土曜授業公開の日に受付付近に置くようにした。

参観する保護者の目に入るように模造紙ほどの大きさにし、開催するためにはボランティアが必要不可欠で人手が足りない窮状を再び訴え、今度は赤字で手書きするようにした。

ボランティアを誰にお願いしたいのか、人手不足の状況を理解してほしいという訴えが伝わり、募集を始めてからすぐに1名の応募があった。

早速、崇史が1名の応募があったことを上町倶楽部のLINEグループに流すと、会員の喜ぶ反応があり、その後、こども駅伝開催に向け期待が高まるやりとりが続いた。

応募締め切り日までに、さらなる増加が見込まれると崇史は予想したが、この後、期待は大きく裏切られることになった。

以後、ボランティアの応募は続かないまま、締切日を迎えた。

さらに予想していないことだったが、こども駅伝に応募してくるランナーもいなかった。

応募締め切り後、募集の惨憺たる結果を応募用フォームを管理している崇史のみが知りうる状況になっていたため、次の会合を待たずに早速、LINEグループに周知した。

崇史は、この後、会員の不安が加速することを怖れた。

早急に会合を開けるように、臨時会合の開催を呼びかけ、オンライン会合を開催することにした。

オンライン会合の時間の5分前となった。

崇史はリモート会議アプリZoomで会議日時を設定し、参加者を招待するパスコードを会員のLINEグループに貼り付けていた。

崇史はオンライン会議のホストをすることは数回しかなかった。

不慣れな上に長男から借りたタブレットが英語表示になっていたため、正しくオンライン会議が始まるか不安だった。

開催時刻になった。

「やっています?」

LINEグループにメッセージが入った。

その直後にもメッセージが入った。

「入れません。」

崇史は慌てたが、気持ちを落ち着かせるように努めた。

再設定を急いでしなければならなかったが、まずはオンライン会合に参加しようとしている会員に向け、メッセージを送った。

「すみません。操作に困っています。」

すると次のメッセージが送られてきた。

「笑」

その後、招待パスコードを再度、LINEグループのメッセージ欄に貼り付けた。

リモート会議アプリの設定した会議を開いていると、2名、3名・・・と参加を待機する表示が映し出された。

崇史は入室を許可する操作をした。

会長の野口、東海林、庄司、八塚の参加が確認できた。

内心、ほっとした。

「今回、臨時の会合を開かせていただきました。参加してくださった皆様、ありがとうございます。」

崇史は開口一番、会員に向けお礼を述べた。

崇史はまず話し合いの論点をはっきりさせることに努めた。

「現時点で、こども駅伝の応募がない状況です。私が思うのですが、今回、新しい企画のため、チラシを配るだけでは子供たちは参加してみようという気持ちにならないんだと思います。」

崇史が言い終わるとすぐに会長の野口が話し始めた。

「参加者がいないのはまずいですよ。チラシは配っているので今から中止にもできないですし、どうしましょう?」

すぐに庄司が意見を述べ始めた。

「チラシを配るだけではインパクトが弱い。誰かが全校朝会に参加してこども駅伝に参加するように呼びかけなきゃだめですよ。」

全校朝会は平日の月曜日の朝で、仕事を休むことになるため、会員にとっては悩ましい問題だった。

しばらく沈黙が続いたが、東海林が話し出した。

「俺が行きますよ。年明け早々だったらまだ忙しくないですし、学校に寄ってから仕事に行きます。」

崇史は東海林が何としても開催に漕ぎつけようとする気持ちを感じ、正直、嬉しかった。

全校朝会の参加を一緒にする者は他にいなかったが、誰かが誰かを責めることもできないことを皆が承知していた。

崇史はもう一つの論点であるボランティアの応募がないことに話題を触れた。

「ボランティアは参加者の家庭向けに募集しています。参加者が集まらないかぎり、増えていかないと思います。」

するとそれまで話していなかった八塚が崇史の意見に反応した。

「今の若い人は合理的に生きようとする人が多いんですよ。無駄をしたくないというんですかね。誰かのために進んで人肌脱ぐ気になれない人が多いんですよ。」

すると、庄司がすかさず話し出した。

「それ、分かるわ。俺、PTAの役員やっているけれどこども祭りの企画を進めていてもボランティア集まらないもん。」

リモート会議アプリの無料プランでの会議時間終了が近付いたため、崇史は話し合いのまとめに入った。

「まずは東海林さんにお願いして全校朝会に参加してこども駅伝について話してもらうでよろしいでしょうか? そしてボランティアは引き続き募集を続けるで良いですか?」

臨時会合で今後の方向性の合意を得ることができた。

年明け早々、崇史は息子が通う学校を訪れ、模造紙大の看板を作っておいた。

東海林が朝礼台に立って全校児童の前で話す時に看板を持った方がインパクトが出ると思ったからだ。

崇史は作業を終えた後、写真を撮り、LINEで東海林に送った。

「こんばんは。1月27日に朝礼台に上る時の看板を用意しました。使ってください。」

しばらくすると東海林から返信がきた。

「ありがとうございます。頑張ります。」

それから週が明け、東海林が学校を訪れ、全校朝会で話す日を迎えた。

その日は寒波が日本列島を覆いかぶさり、朝から冷え込んでいた。

崇史は職場である小学校の校門に立ち、登校してくる子供たちに挨拶して迎えていた。

崇史は職場では通級指導の担当となり、学級をもたなかったため、子供たちを教室で迎える代わりに毎朝、校門に立つことを日課としていた。

毎朝、崇史が挨拶をしていると顔見知りが増え、夢中になっているゲームの話や週末にあった出来事を話してくれる子供が数名できた。

オンラインゲームの中で大勢で競い合い、最後まで勝ち残ったことを話す子がいれば、崇史は親身に話を聞くようにした。

ゆったりとした時間が流れ、学級担任をしていた時のせわしない頃と比べると心に余裕ができ、心地よかった。

崇史が子供と話しているとズボンの中のスマホが振動した。

慌ててスマホを取り出し、画面の表示を見ると東海林からだった。

「おはようございます。看板ってどこにあります?」

崇史が子供たちの手前、その場ですぐに返信するのを諦めた。

するとすぐに着信を知らせる振動が立て続けにあった。

「ありました。」

「思った以上に大きかったですね。」

ようやく校門での挨拶が終わり、LINEメッセージを確認できた。

「すぐに返事出来ずにすみません。全校児童からよく見えると思い、大きくしました。よろしくお願いいたします。」

崇史はメールを返信した。

その日の夕方、スマホを見ると、東海林からのメッセージが届いていた。

「本日全校朝会でお時間頂きPRしてきました。すごく行って良かったです。朝、校門前でポスター持っているだけでも反応ありましたし、 朝礼後、5年生で2組は出る感じでした。」

さらにメッセージが追加されていた。

「あっ!それとちょっと興奮して余計な事言ってしまいました。上町公園を登る坂を地獄の坂と言ってしまったこと猛省しております。」

「それと校長先生からクラス毎に貼るポスターは いつ用意してくれますか?と言われました。」

崇史は東海林に次のようなメッセージを返した。

「お疲れさまでした。本当に感謝しております。チーム参加増が期待できますね。教室に貼るポスターはすでに準備して副校長先生に渡しています。どうもありがとうございました。」

この後、応募フォームに非常に大きな動きがあった。

まず、その日に3年生から2チーム参加の申し込みがあった。

次に、個人で応募したいのに3年生の枠がないという問い合わせが入るなど、こども駅伝参加の動きが活発になった。

そこで、駆け込み応募が期待できると見て、崇史は学校にお願いをし、申し込みチラシの再配布することを決めた。

学校から許可がおり、応募締切直前の週始めにチラシが配布された。

するとねらいどおり、応募が多数あり、個人参加を集めたチームも合わせ、16チーム52名の参加者が揃った。

こども駅伝開催の見込みに目途が付いた。

最後に、ボランティアを集めなければならなかった。

崇史は参加者の家庭向けに参加決定通知と一緒にボランティア募集チラシをメールで送った。

しかし、数日経っても、ボランティアに応じる気配がなかった。

そこで、ボランティアが必要な窮状を訴える文面で再募集のチラシを作り、参加チームの代表者に送った。

ようやく1名の応募があった。

関連して、次のような問い合わせがあった。

子ども同士でチームを決めてくるため、親同士の連絡先が分からず、チラシを送れない、さらにプリントアウトして子どもに持たせることができるが、申し合わせてボランティアに応じることができないとのことだった。

このままでは、たくさんのボランティアの応募が期待できないと判断し、PTAで使っている連絡用アプリBANDでボランティア急募の投稿をすることにした。

その点、メンバーの庄司はPTA会長をしていたため、すぐに実行に移すことができた。

早速、崇史が連絡すると、庄司は快く応じてくれた。

また、庄司から、投稿はボランティアが集まらないと中止もあると知らせる内容にし、危機感と開催意義への共感を得るものにしないといけないという意見が出された。

メンバーの思いが込められた投稿が、全家庭向けに流された。

その後、駅伝に子供をエントリーさせている会員の母親がチーム内で声を掛け合い、ボランティアを申し出てくれたおかげで5名が集まった。

「参加賞の方は準備OKです。52個で用意していますが、追加はありますでしょうか?」

ボランティアを募集している間も開催の準備が進んでいた。

開催直前の会合が開かれた。

この会合では当日の役割分担と用具の確認をしておく必要があった。

卒業関連の行事と重なり、途中に中座し会合に出席する東海林や庄司の姿があった。

崇史は会員とボランティアを配置しても、まだ埋まらないコースマップを見せて当日の対策を説明した。

「車の往来が多い通りには人を配置します。また、野口さんや八塚さんにはコース上をフリーに動いてもらって路地から出てきた車両に対応してもらおうと思います。人が配置できない路地の入り口付近の電柱には捨て看板を設置し、注意喚起していこうと思います。」

これまで人手が足りないことは何度も話題に上がっていたため、会員は納得した様子だった。

「あと、ひとつ気掛かりなのは当日の天気です。2週間先の天気予報で注視しているのですが、雨マークが消えないんです。」

崇史がそう話すと、まあ、晴れるでしょと東海林が返事した。

会合の帰りだった。

何とか開催までたどり着けたことを崇史は感慨にふけりたかった。

共に力を合わせた東海林にその気持ちを話したかった。

まさにその相手が隣にいた。

「どうにか開催までたどり着けましたよ。」

崇史がそんな調子で話を切り出した。

「いやぁ、本当に夢が叶いました。ありがとうございます。」

すぐに、東海林が返事した。

崇史は話したいことがこみあげ、たまらず、口に出した。

「いつ、今回の提案がポシャるのかと冷や冷やしました。」

崇史のその言葉に驚く様子で、東海林が返事した。

「そうだったんですね。」

会員の中でも『本当にできるのか』と疑っている人もいたと思うんです。」

崇史は胸の内を吐露した。

また、崇史は東海林への感謝の念を忘れなかった。

「でも、東海林さんが全校朝会で呼びかけてくれたことを本当に感謝しています。あれがあったおかげで一気に開催へと向かいました。」

崇史のその言葉に、東海林は恐縮するように返事した。

「いやぁ、大きな看板を用意してくれたじゃないですか。あれは良かったですよ。」

「あれくらいするのは当然です。」

お互い開催までの奮闘を照れながらたたえ合った。

崇史は気分よく東海林と別れた。

それから1日、また1日と過ぎても雨マークは消えなかった。

「日曜日の雨マーク、なかなか消えないですね。」

「消えないですね…」

会員からの投稿が続いた。

前日、野口から連絡があった。

「明日の雨予報、消えないですね。夜中3時頃からずっと雨ですね。」

崇史は雨で中止の覚悟はできていた。

野口のメールに促されるように返信のメールを送った。

「本当ですね。明日の正午前に雨の中、正門に集合して判断は避けませんか? もう判断してもよいと思います。」

野口からメールがすぐに返ってきた。

「ここまでの予報ですと、中止の判断も致し方ないかと」

崇史もすぐに返信をした。

「完全に雨です。中止になりますね。」

野口は自分で判断するのを避けたいのか、東海林宛にメールを送った。

「@東海林 どうしましょうか?」

すると、グループLINEを見ていた別の会員からメールが入った。

「気を揉みますね。校庭が使えるか状況かどうかは、朝方の判断でしたっけ?」

中止の判断を自分がするのをためらうのがメールのやりとりから見えた。

崇史は自ら判断を下すメールを送った。

「明日のことでご心配をおかけして申し訳ございません。明日は雨のため、中止とすることを決めさせていただきます。予定より前倒しさせていただいた理由は以下の3点です。①前日の時点で雨が明らかになったため。②雨の中、皆様に集まっていただき判断するのを回避したかったため。③ボランティアに応じていただいた方に早く伝えたいため。今回、皆様からご理解、ご協力をいただき、開催までの道筋は付けることができました。本当にありがとうございました。しかし、雨では実施は出来ません。大変、心苦しいのですが、こども駅伝は中止とさせていただきます。」

崇史は参加する子供や運営に協力してもらう人集めに奔走し、どうにか開催の段取りを付けてきたが、当日の天気で足元をすくわれる結果となった。

「ピンポイントでしか予定がとれないので、天候がネックになりましたね。来年はぜひ実現できますように!」

中止決定後、会員からの投稿が送られた。

東海林からも無念をにじませる投稿があった。

「駅伝復活をここまで現実的にして頂き、ありがとうございました。上町倶楽部所属9年で一番印象的な年になりました。来年こそは開催できるようにご祈念申し上げます。」

続けて、崇史も投稿を送った。

「今回、イベント開催には人集めが大切だと痛感しました。来年度は会員を増やすことに力を入れていこうと思います。どうかよろしくお願いいたします。」

こうしてこども駅伝復活に向けての1年目は終わった。

例年、上町倶楽部に入会してくるのは1年生の父親だった。

入会してくる時期は、きまって入学式直後だった。

まだ親同士のコミュニティーができておらず、人脈を作る目的で上町倶楽部に頼ってくる。

そこで、会員募集のチラシを1年生全家庭に配布し、少しでも会に興味がありそうな父親を集めたかった。

「年度初めが新会員を集める最大のチャンス」と崇史は考えていた。

ただ、最近、入会してくる父親が全くいない時もあった。

入学したばかりの父親からしてみれば、右も左も分からず、さらにすでに見知った関係ができている組織に入るのはハードルが高い。

そんな父親達に思いを馳せ、少しでもそのハードルを低くする手立てとして、崇史は最近、耳にする「ランチミーティング」がよいのではと考えた。

この場合、食事会兼小学生の子育て相談になるのだろうが、食事会だと事前に食数を知る必要が生まれるため、駆け込み参加に対応できない。

そこで、クッキーと飲み物を用意した茶話会にすることにした。

チラシは、先に学校に送り、中身の確認を済ませ、その後、PTA室にある輪転機を使って1年生全家庭分を印刷することになっていた。

チラシを印刷し、配布棚に置くまでを会員で手分けすることができたが、日程調整する時間もなかったので一人ですることにした。

日曜日の夕方、PTA室で印刷作業を始めた。

チラシの原稿を輪転機のガラス面に置き、印刷する用紙をセットした。

製版ボタンを押すと印刷された用紙が出てくるはずが中で詰まった。

詰まった用紙を取り除き、再度、試すが、また詰まった。

輪転機のローラーにべったりと貼り付いた用紙を見ると、チラシのデザインに原因があることが分かった。

文面を目立たせるために、黒地に文字を白抜きにしていた。

すると、黒地の面積が用紙の大部分を占めるため、ローラーに貼り付いてしまうのだった。

チラシを一から作り直すことはできないので、白地に文面を黒にするシンプルなデザインに変更することにした。

PTA室では、チラシの編集作業ができないので、直しができる家とPTA室を往復することになった。

作業を終えた時には、夜9時を過ぎていた。

崇史は夜遅くまで作業してしまったことを守衛さんに謝り、帰宅した。

崇史の指先はインクですっかり汚れてしまっており、予期せぬ対応に追われ、体は疲れ切っていた。

それでも、無事にチラシは配布されると安堵した。

翌日、チラシは配布されたが、茶話会までに出欠確認のフォームに入力する父親はいなかった。

そこで茶話会に設定した日がPTA行事のこいのぼり掲揚作業であることに気付き、崇史はそこに来た父親を勧誘することに考えを変えた。

当日、上町倶楽部のメンバーは、こいのぼり掲揚作業にも参加し、その後、茶話会の会場を準備し、応募してくる父親を待った。

「いやぁ、作業が終わった途端、お父さんたちはいっせいに帰りましたね。」

「この後、ランチルームで上町倶楽部の茶話会をするんですけど、参加しませんか?と呼びかけたんですけど、蜘蛛の子散らすようにいなくなりましたよ。」

「こいのぼりのために来た。もう用はないよって感じでした。」

「いやぁ、チラシを配ってこのありさまだといよいよ厳しくなってきましたね。」

明らかに重い空気が漂っていた。

こども駅伝を開催するためにも会員を増やそうとしたが、出鼻をくじかれる流れが見え始めた。

その時だった。

ランチルームの扉がゴトゴトと開き、メガネをかけた男性が現れたのだった。

「あのぉ、上町倶楽部の茶話会ってここでしょうか。」

崇史を始め、会長の野口、八塚らが一斉に席を立ち、ランチルームにやってきた男性を席に案内した。

「お越しいただき、ありがとうございます。いゃあ、一気に空気が変わりましたよ。」

崇史がそう言うと、みんな安堵したのか、どっと笑いが起きた。

自己紹介でどんな仕事をしているのかをお互い話し、その後は近場で子供が遊べる場所について紹介し合った。

その日は上町倶楽部の活動について軽く触れる程度で、次回、茶話会の2回目を開催する予定があるのでまた参加してほしいと伝えて解散となった。

茶話会後、崇史はLINEグループに次の内容で投稿した。

「先ほど茶話会が行われました。1年生のお父さんが1名参加してくださりました。まだ入会を決めた訳ではありませんが、ボランティアなどには積極的に参加したいと話していました。」

早坂という名前のその男性とあと一人、柴崎という父親がその後、新会員として加わることになった。

上町倶楽部では夏に学校きもだめしというイベントを開いていた。

親子で参加でき、毎年100人を超える規模だった。

校舎の中を歩くコースがあり10分ほどでゴールできる設計になっている、スタート前の没入感を高める動画が用意されている、30分ごとに時間帯を区切って参加者の人数が均等に割り振られているなど、運営の仕方が出来上がっていた。

崇史は新しく入会した二人に、このイベントの案内をする仕事を教え、任せた。

すると、早坂は子供が参加したくなるようなイラストのあるチラシを作った。

印刷が白黒のため、モノクロのイラストにして欲しいと注文すると快く応じてくれた。

これまで崇史が時間をかけて作っていたものを短時間で仕上げてしまった。

もう一人の新会員の柴崎はコンピュータを得意としていた。

崇史が一斉送信できるアプリを紹介すると、すぐに使い方を覚えてしまった。

二人の新会員は、上町倶楽部の活動を推し進める大きな力となった。

会員数は、東海林が退会で1名減り、今回、新会員2名が加わったため、1名増となった。

それでも人手不足は解消されずにいた。

こども駅伝開催のために、まだまだ人集めが必要だった。

地域からボランティア募集することも手立てとして崇史は考えていた。

前回、こども駅伝の計画で、何度か、役所を訪ね、施設の使用申請をしていたためか、崇史宛てに一通の案内が届いていた。

封を開けると、地域の課題検討会の案内だった。

地域が抱える課題を書いてFAXで送る用紙も同封されていた。

そこで、崇史は「地域で子供を集めたイベントを開きたいが、運営するための人手が足りない。」と書いて、送っていた。

さらに、崇史は課題検討会に出席することを決めた。

課題検討会当日、参加者は地域の公民館の2階にある会議室に集まった。

入口で受付を済ますと指定されたテーブルに着くように伝えられた。

テーブルには、先に着いた参加者が数名いた。

崇史は同じテーブルになった相手に軽く会釈をし、席に着いた。

受付で渡された資料に目を通し、参加者名簿に知っている人がいないかを探した。

現PTA会長やPTAの役員の名前があった。

もちろん崇史の名前もあり、肩書は上町倶楽部副会長となっていた。

同じテーブルには町会の役員が名を連ねていた。

別のテーブルには、山越の名前があった。

山越は上町倶楽部の元メンバーだった。

崇史とは同じ時期に入会し、6年間一緒に活動をしてきた。

動物の世話をする仕事をしていて、上町倶楽部に『動物ふれあいパーク』という企画をもちこみ、しばらく活動を続けていた。

以前、崇史があるイベントを企画した時に賛否両論が飛び交い、後に上町倶楽部を二分することになったが、その話し合いでこの『動物ふれあいパーク』が引き合いに出された。

どちらも上町倶楽部の会員が活動に参加する機会が少なかったため、企画を問題視された。

山越の企画は会で了承され、崇史の企画は反対派に押し切られた。

その後、上町倶楽部の屋台骨が大揺れとなるのだが、その時期に、崇史は山越に両者の企画の違いを尋ねたことがあった。

すると、山越は自分の企画が通ったのは上町倶楽部が黎明期で企画が通りやすかったからで、その後に会員が増え、多様な意見が出て合意形成ができなくなったからだと歯切れの悪い意見を話していた。

崇史から見れば、山越の企画はすでに活動に組み込まれていて安泰で、それに続こうとする崇史の企画に知らぬ顔をする山越の態度に強い不信があった。

さらに踏み込んだ話をすると、上町倶楽部に生き物を扱った企画を持ち込もうとすると山越が握りつぶす節があった。

以前、山越が馬の糞を混ぜた腐葉土でカブトムシを育てると大きく育つと話していたことがあった。

そこで、崇史は上町倶楽部でカブトムシを育て子供たちに配る企画を計画し、山越に幼虫を用意するので試しに腐葉土で育てることができないかお願いした。

山越は快諾した。

崇史はカブトムシの幼虫2匹を用意できた日に、山越に連絡をとり、帰宅途中のところを手渡した。

その後、山越からカブトムシが育った話がなかった。

崇史が山越にカブトムシはどうなったのか尋ねると、ああ、あれね、大雨で水没してだめになっちゃいましたよと返ってきた。

崇史からしてみれば、大雨で被害を受けた時点で山越から話すべきであり、幼虫を預かった側が先に説明するのが当然だと思った。

受け取ったカブトムシの幼虫をあの後、山越が本当に腐葉土で育てたのかあやしかった。

これまでの6年間の活動を通して、山越を信用できない男だと崇史は強く思うようになっていた。

そんな因縁の相手が山越だった。

やがて課題検討会が始まった。

地域の課題でも人手不足が深刻だと話題に上がった。

崇史もこども駅伝でボランティアが集まらず困ったことを話した。

町会の人たちも同情してくれて、呼びかけてくれれば、手伝うと話していた。

町会の窓口役を聞くと、崇史が知っている名前も2、3人いた。

山越もその一人だったが、山越にはお願いしたくなかった。

そこで、山越以外で知っている有馬さんという女性に連絡することにした。

有馬さんは町会に入ったばかりで気が引けるが、がんばってみますとの返事だった。

課題検討会が終わった会場で山越と話をした。

同学年だった子供たちの近況を報告し合った。

その他に、山越から町会に入るように誘われた。

崇史は3月に末っ子が卒業するので、13年間在籍した上町倶楽部を退会することが決まっていた。

山越もそれを知っていた。

崇史は信用できない山越と一緒に活動するつもりはなかったので、その場で返事をせず、またの機会に話を聞かせてほしいと伝えた。

また、山越から年末に子供たちを集め、火の用心で町内をまわるので参加しないか誘われた。

度重なる誘いに全く応じないのも気が引け、また、今後、山越に世話になる可能性もあるため、火の用心の誘いには参加すると伝えた。

課題検討会から数日後、有馬さんからメールがあり、身近な町会の方で山越さんにお願いしましたと伝えられた。

山越を通さずに町会に人集めのお願いをしようとしたが、山越が町会の窓口になってしまった。

21人もの大人を集めるためには、やはり参加する子供の保護者に引き受けてもらうしかなかった。

そこでこども駅伝の参加条件を見直し、1年生、2年生も参加できるようにした。

ただ、同じ距離を走るのは、1年生、2年生にはきついので、コースの手前で折り返し地点を作り、無理なく走れるようにした。

学校きもだめしの参加者の傾向を見ていると、1年生、2年生の参加者が圧倒的に多かった。

1年生、2年生はイベントの参加意欲も高く、時間に余裕のある生活を送っているように思える。

親も新鮮な気持ちでイベントに参加してくれる。

お手伝いを確保することに崇史は躍起になっていた。

コース上に折り返しポイントを作るための最も簡単な方法はコーンを置けば良かった。

1、2年生が走る時だけ設置し、3年生のスタートからは取り除けば済む。

簡単なことだと考えていたが、コースである道路の上にコーンを置くのは道路使用許可の他に道路占有許可が必要だと分かった。

道路使用許可は警察署とのやり取りで済むが、道路占有許可はさらに役所にいくつか依頼する必要があった。

まず協力依頼文というものを役所の町づくりセンターにお願いした。

こども駅伝の実施案を持って行き、担当者に趣旨を伝えた。

そのやり取りに平日、1時間程度のやり取りが必要だった。

次に、協力依頼文を受け取り、土木部土木計画調整課に行き、道路占有許可申請、道路占有料減免願、道路使用許可申請書と実施案をそれぞれ2部ずつ提出した。

2部用意する理由は提出用と控えが同一のものにするためだった。

提出したものは、道路使用許可申請書に土木部土木計画調整課の押印されたものを表紙にして綴じられ、1部を受け取った。

今度は、それを持って、警察署に行き、道路使用許可申請を行った。

担当者から実施案の内容について質問があるので事前に打ち合わせをしておくとスムーズに提出できる。

このやり取りで平日の2時間程使った。(もちろん役所が業務を終える16時45分までに行った。)

数日後、警察署から連絡を受け、提出した書類の1部を受け取り 押印された表紙を2部コピーを取り、土木部土木計画調整課に行き、提出した。

このやり取りで平日の2時間程かかった。

最後に、土木部土木計画調整課から連絡が入り、道路占有許可申請を受け取った。

こちらは受け取るだけなので数分で済むが、もちろん平日だった。

平日の4日はこのやりとりで必要だった。

道路の上にコーンを一つ置くための許可を取るだけにかかる労力は相当なものだった。

申請を済ませると、崇史はこども駅伝募集のチラシを作り始めた。

前回、子供は参加させるが、ボランティアはしない応募が多数あったため、今回は、申込前に「参加する家庭にはボランティアをしていただく場合がある」に同意し、応募できるようにした。

さらに裏面を参加を予定している保護者宛てにし、ボランティアが必要な理由、引き受けた場合の拘束時間、実際のコースを載せた。

その後、作り直した募集案内を共有するため、上町倶楽部のLINEグループに流した。

しばらくして、会員の庄司から返信がきた。

「こども駅伝のウェブページを作成しました。」

URLが載せてあったので、崇史は指でタップしてみた。

すると「こども駅伝」というタイトルのページが表示された。

競技内容、安全対策、ボランティアの文字がハイライトになっており、各ページに飛ぶハイパーリンクが貼られていた。

さらに、「チラシにこのホームページのリンク先を載せれば、運営側は管理しやすく、また保護者への案内もしやすくなります。」と追信があった。

崇史はこのウェブページがあれば、相手が参加を迷っている場合、ページを読み進めば考え方が変わるかもしれないと思った。

崇史は庄司にお礼を伝え、このウェブページを活用していくことで参加者がいつでも運営側の発信を受け取ることができるので本当に助かりますと伝えた。

崇史は町会からのボランティアがあった場合のチラシも作っておいた。

山越に呼びかけをお願いするにしてもチラシを配れば、申し込めるようにした。

こども駅伝募集のチラシは年末に学校で配られた。

早速、ボランティアの参加が1名あった。

前年度に最初に応募してくれた保護者だった。

ありがたかった。

それと同時に今度こそは開催させなくてはと崇史は思った。

年末に山越から連絡がLINEに来た。

「有馬さんから駅伝の話を聞きました。日程やいろいろなことを聞きたいので、直接LINEしました。」

LINEでのやり取りで行き違いがおき、お願いしたことがなされなかったというような事態は避けたかった。

そこで崇史から直接、会って説明したいと伝えた。

すると、山越から年末は忙しいとの返事だった。

さらに、ボランティアは何人くらい足りないですかと聞かれた。

崇史の計画では、沿道の路地には保護者ボランティアが入り、路地に繋がる通りの入口に町会の人が立って欲しかった。

そこで、8人集まれば十分だが、3時間立ちっぱなしはできないので、1時間ずつ交代できる24人と伝えた。

すると、すぐに山越から返信があった。

「この24人というのは町会だけで集めるということですか? もしそうだとすると、難しいですね。集まって7~8人だと思います。」

期待した程、人が集まらないと分かり、見守りする人の配置の見直しが必要だと感じた。

崇史は山越に7、8人でも集まってくれれば十分で、ぜひ、お願いしたいと伝えた。

年の瀬に山越と約束した火の用心を行った。

山越は今ではすっかり町会を取り仕切っていた。

崇史は山越と必要以上に話すことは避け、一団が歩く方へ一緒に歩いた。

水原さん、このスピーカーを首から下げてくれると拡声器のスピーカーを運ぶ役割をお願いされた。

自分で持てばよいのにと思ったが、この後、山越には呼びかけをお願いしなくてはいけないので黙っておいた。

火の用心が終了し、解散した後すぐに、崇史は山越に年明けに打ち合わせしたいとお願いした。

1月初旬に日程調整することができた。

念のため、参加者に配ったチラシのデータを送っておいた。

年が明け、個人参加2名、ボランティア2名と応募が少なかった。

ここからチラシの2回目の配布、各教室、各階の廊下にポスターの掲示、呼びかけのアナウンスが勝負の鍵となる。

開催の条件を参加者30名、ボランティア30名とした。

ボランティアが前回5名だったところを30名に引き上げたのは強気であったが、この人数を集めなければ安全な運営はできないと思った。

また、応募した家庭にもお手伝いをお願いすると案内に載せたことで保護者と駆け引きすることができた。

2回目の案内のチラシでは、応募者全員が健康申告フォームの入力を必須とし、連絡できる電話番号を入力する説明を載せた。

さらに、入力した連絡先にボランティア依頼の電話をすることも伝えた。

参加する家庭も運営に巻き込むやり方だった。

楽しいところだけ味わって、面倒くさいところは避けたいという考えは認めなかった。

運営側も無料で参加できるイベントを計画している以上、参加者にも負担を受け取ってほしかった。

ただし、みんなが負担を共有することで一人の負担を少なくするようにした。

個人参加が少しずつ出てきた。

備考欄に同じチームにしてほしい人の名前をあげている参加者が何人もいた。

日を追うごとに応募人数が上がっていった。

沿道の家々に駅伝開催の協力をお願いするチラシも配った。

チラシ配布後、たまたま通りで東海林に会ったので、今回こそ、こども駅伝を開催するので、ぜひ、お手伝いしてほしいと伝えた。

東海林からもちろんと心強い返事が返ってきた。

準備は抜かりなく進んでいた。

「どうしてこの日を開催日にしたんですか?」

それが山越の第一声だった。

芝居がかっていて胡散臭いと崇史は思った。

山越が指定した喫茶店の店内では他にも若いカップルがお茶を飲みながら談笑していた。

まるで叱られているかのようだった。

「2月の三連休の中日ですよね。この日は駅前の商店街で餅つき大会があります。町会の人たちは助っ人に出るので誰も手伝えませんよ。」

山越は自分を含めて手伝えないことをそんな言い方で伝えてきた。

たしかにその日に商店街の祭りが予定されていたが、まさか町会が手伝うことになるとは崇史は知らなかった。

崇史は翌日が祝日のため、終わった後に反省会が開けるからだと、また、共に準備を進めてきた東海林が単身赴任で他県にいて、三連休の真ん中だと参加できるからだと返答した。

山越は崇史がその日を選んだ事情には同情するような様子ではなく、また、詰めが甘いとまで言い切った。

山越は一緒に活動していた時から変わらぬ調子で自分に非はない、上手くやるには根回しが大切で、調整力がないと物事はできないんだよといった調子で話してきた。

山越の劇場型の話しぶりが始まった以上、崇史の方から歩み寄り落としどころを探るしか仕方がなかった。

「行事が重なって町会の人は手伝いに来れないのですね。それなら仕方がないです。」

崇史は山越の言い分に理解を示し、町会のメンバー全員が商店街の手伝いをするのか尋ねてみた。

すると、山越が目星を付けていた町会の人がお祭りの方に行くとのことだった。

それならば、町会向けのチラシを用意したので呼びかけする時に配ってほしいと伝えた。

山越が言うように行事が重なった以上、町会から手伝いをお願いすることは期待できないが、万が一…課題検討会で話していた人が崇史と話していたことを思い出すこともあるかもしれないと思い、持ってきたチラシを配ってくれるようにお願いした。

山越はチラシを受け取ってはくれたが、それ以上、話すこともなかった。

対面での打ち合わせをお願いした以上、その席の勘定を崇史が出すと伝え、山越と別れた。

やはり参加者の保護者にお手伝いをお願いするしかないと崇史の覚悟は固まった。

応募の締め切り期限がひと月を切った。

崇史は最後となる募集のチラシを作っていた。

子供がわくわくするようなキーワードがほしかった。

崇史は前回、東海林が全校朝会で子供たちに向けて伝えた言葉がよいと思った。

それは「地獄の坂」だ。

上町公園は高台に位置しており、かけ上がりのコースになっている。

あの時、東海林が朝礼台の上から言葉にした「地獄の坂」が琴線に触れた子供がいたら、応募してくるのではと期待した。

作ったチラシを共有するためにLINEグループに流した。

すると別件で会長である野口から返信が来た。

PTAの役員からの連絡が来ていて、PTAで使っている連絡用アプリBANDに募集の投稿を出す予定はあるか質問が来ているので対応してほしいとのことだった。

募集のアナウンスであれば、どんなアプリであろうと出した方がよいに決まっているので本心では出したいが、PTAのことは庄司が良く知っているので崇史が自分で決めていくことはできなかった。

そこでBAND向けの投稿の下書きはすぐ作ると返事をした。

崇史は下書きを作るとすぐにLINEグループにデータを流した。

その後、野口から返信が来て、崇史が作った下書きをPTAの役員さんに送り、投稿してもらってよいか確認があった。

崇史は下書きを見て、庄司が新たに投稿を作っている場合もあるので、待ってほしいと返信した。

LINEグループは会員がやり取りを閲覧できるようになっているが、誰が見ているのかまでは分からなかった。

直接、庄司にLINEで連絡した場合、催促するサインと受け止められかねないので止めておいた。

数日待ったが、庄司からBANDの投稿についての連絡はなかった。

応募締切が迫る中、個人参加5人、チーム参加4、ボランティア6人という状況でまだ目標に達していないため、崇史は庄司に連絡を取り、PTA役員にお願いをしてBANDに投稿してよいか尋ねた。

すると、庄司から「構わない。」と回答が来た。

そこで、LINEグループで野口宛にやっぱり投稿をPTA役員に依頼してほしいと伝えた。 すると今度は野口からの返信が来なかった。

とうとう応募締切前日になった。

個人参加9人、チーム参加5、ボランティア10の回答があり、参加者29名だったが、個人参加の中で一緒のチームにしてほしいと指名しているにもかかわらず、その相手が応募していない家庭が4つあり、参加見込みと見なして「参加決定通知」をこれから参加者に送ることをLINEグループに流した。

すると野口から参加者は目標人数に達したということですがボランティアは達していないのに開催するのですかと返信が来た。

崇史は参加決定通知後に、参加家庭に電話しボランティアの依頼することになっていると伝えた。

会員にはLINEグループで情報共有を図ったつもりだったが、同じ認識ではなかったことが分かった。

応募締切の翌日、庄司からLINEグループに連絡が入った。

PTA役員から再度、募集の投稿をBANDに流さないかと連絡が来ている、連絡がうまくいってないですか?とのことだった。

野口からの返信を待っていて、募集の投稿の時期を逃していた。

しかし正直に答えて、野口との間で亀裂が入るとこども駅伝開催どころではなくなると考え、「締切間近だったこともあり、投稿は間に合わないと判断されたと思っていた」と伝えた。

すると庄司から追加募集のBAND投稿を作成しますよ、合わせてボランティア募集もしますよと連絡を受けたので、崇史はすぐにお願いした。

庄司から追加募集が投稿された。

いよいよ崇史は参加家庭にボランティアのお願いをする電話を始めた。

電話で依頼することを伝えておいたので、すぐにボランティアについての話をすることができた。

できると答えてくれる家庭もあれば、ボランティアをしている間に子供の見守りができないと断る家庭もあった。

何度、連絡してもつながらない家庭や後から折り返し連絡がある家庭もあった。

どうにかボランティアは26人を集めることができた。

町会からのボランティアは3人いた。

山越からの呼びかけによるものではなく、こども駅伝が校庭の遊び場開放の時間と重なったため、その日に当番だった1名と崇史が町会の知人でお願いした知人の1名、そして庄司の次にPTA会長になった町会の役員だった。

また、崇史はボランティアの配置計画で車の往来が多い地点に警備会社のスタッフを依頼したいという希望を直前の会合で伝えた。

上町倶楽部の予算内で済むことを伝え、プロの警備スタッフに任せることでさらに安全が高まると説明すると、会合で認められた。

ボランティアの人数は30人には及ばなかったが、3交代制のうち2枠入っても良いという保護者が複数いたため、すべての地点で見守りを付けることができた。

個人参加15名、チーム参加6の児童39人、ボランティア26人、町会3人、上町倶楽部の会員6人、OB4人、総数78人で行うことになった。

開催条件を満たすことができた。

参加者に開催決定通知を出した。

柴崎が一斉送信をしてくれた。

崇史が開催に向け、スタッフの当日の動きを資料にまとめた。

当日に細かな指示を出していくとあっという間に自分の処理能力がオーバーするので、すでに決まっている動きについてはLINEグループで周知しておいた。

さらにボランティアスタッフが見守りに入るときの動きがスムーズになるようにコース付近の航空写真を編集し、見守り地点の分かる資料を用意し、ポスターを制作する会社に依頼した。

当日の天気は晴れだった。

崇史は集合時間までに、見守りスタッフに連絡用アプリの招待リンクを送る作業に追われていた。

柴崎に頼み、一斉送信すればすぐだったが、直前にはお願いできなかった。

崇史は何とか間に合わせ、会場に向かった。

第一作業としてコース上に順路の看板を手分けして設置した。

第二作業は会場の設営を行った。

そうこうするうちに、受付時間になっていた。

受付を済んだら、校庭に移動するように声掛けしたが、参加する子供たちはなかなか動かなかった。

会員がPTA室からワイヤレスラジカセを持ってきて、マイクで指示を出すと子供達は移動を始めた。

開会式が始まり、崇史はルール確認の説明をした。

説明内容を書いた模造紙を段ボール板に貼り付け、それを見せながら説明を始めたが、風にあおられて模造紙がはがれてしまった。

思ったように説明できなかったが、目の前に参加者が揃い、スタッフがいて、こども駅伝が進行していった。

東海林と庄司に会場の仕切りをお願いしていたため、崇史は会場外の路地の入口で車が来るのを見守った。

連絡アプリを通して1年生がスタートしたことが分かった。

低学年がコースを短く設定したため、予定していたよりも早くレースが終了してしまった。

会場を仕切る二人の判断で繰り上げて次のレースを行うとアナウンスしているのが聞こえた。

途中、「やばい、やばい、誰か対応しろ」という声が聞こえてきた。

最初、会長の野口が対応したが、埒が明かなかったので崇史が呼ばれた。

会場に行って見ると、サングラスをかけ、髪を逆立てた男性が待っていた。

「子供が外で騒いでいるので出てみると、道路で駅伝をしているじゃないですか。ちゃんと許可を取っているんですか。」

崇史は本部テントに預けていた道路使用許可書を持ち出し、男性に見せた。

男性は許可書を見ると、だいぶトーンが下がったように見えた。

それでも、男性は道路使用許可書の表紙に赤いインクで押されている「別添え許可条件のとおり」の許可条件を説明してほしいと言ってきた。

崇史は、警察署で道路使用許可書を綴じる際に、表紙の次に許可条件のページを挿し込んでいるのを見ていたので、そのページを開いて男性に見せて説明した。

男性は「車両等による伴走、応援等により、他の一般交通の妨害とならないようにすること」の項目を触れ、応援が一般交通の妨害を引き起こしていると言い出した。

崇史は指摘されたことは謝罪し、この後、徹底させると伝えた。

男性はまだ言い足りなかったのか、説明できる崇史が本部にいないのはおかしいだとか、ルールを守らないのはオフサイドを知らないでサッカーするようなものだとか文句を言っていた。

崇史はルールが徹底できないところはこの後、徹底すると再び伝えた。

男性は学校側に連絡をとり、今後は駅伝をしないでほしいと伝えることもできると運営側の弱みに付け入る発言をし出した。

崇史は、この後、ルールを徹底すると再び伝えた。

批判したいことは言い尽くしたのか、男性は帰っていた。

思わぬハプニングであったが、レースは再開となった。

時間を繰り上げての大会進行であったが、気が付けば、予定通りの時間で最終レースを終えることができた。

終わった後の反省会では会員は目の前で展開していたこども駅伝の様子を口々に話して盛り上がった。

「あの坂は走るときついんですね。ランナーと一緒に走って応援していた1年生の子が坂を上り切ったところで休憩していましたよ。」

坂の上で見守りをしていた早坂もやや興奮気味に目の前であった出来事を話していた。

東海林が崇史をほめていた。

「水原さんは子供が楽しいと思うことを企画してくれる。あまり話さないが、内に秘めたものがありますよ。」

2年越しになってしまったが、とうとう上町倶楽部でこども駅伝を実現することができた。

今後もこども駅伝が毎年、開催され、地域のイベントとして定着することを願うばかりだった。

こうして崇史の13年間の上町倶楽部での活動が終わった。